繊細な感性で人を理解していけば、この世界はきっと優しくなると思うんだ


HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という言葉をご存知ですか?

一言で言えば、「繊細な人」という意味です。

 

昔、僕は自宅でお母さんたちを招いて講座をよくしていました。そのとき、あるお母さんがこのHSPを話題にしました。

 

チェックシートがあるらしく、質問項目の当てはまるところをチェックしていき、「◯個以上のチェックがあったらHSPです」みたいなものです。

 

「私は全然当てはまらない!」

「半分ぐらい当てはまるかな」

「でもさ、これ、当てはまる日もあれば、そうじゃない日もあるよね」

 

そんな話をしていました。

僕はあまり興味がなかったのですが、「くれちゃんは?」と尋ねられて、チラリと見て驚いてしまいました。

僕は全部当てはまります。それも、その日の気分で当てはまる当てはまらない日があるのではなく、常にすべて当てはまるのです。

 

別にそれで「生きていることが苦しい」とは思っていませんが、僕はどっぷりHSPだということがわかりました。

 

 

HSPの専門家の先生とお話をしたときのこと。

拙著『自走する組織の作り方 統率力不要のリーダー論』(青山ライフ出版)を読んでくださり、「あの本はいかにもHSPの人が書いた本だよね」と言われました。

 

僕にはその真意はわからなかったけれど、僕はどうやら繊細すぎる人のようです。

 

 

 

そんな繊細な人の特徴の一つが、Yahoo!ニュースのコメント欄のようなものをずっと読み続けてしまうこと。辛辣な言葉をずっと読んでしまい、まるで自分が言われているかのように心を傷つけてしまいます。

 

今から10年前、僕は一つのネットニュースを見て、涙を流したことがあります。今年小6になる次男くんがまだ3歳の頃でした。

 

僕は日本人学校の先生として上海で暮らしていました。

ネットニュースは、ネグレクト(育児放棄)で3歳の女の子が餓死したという事件を伝えていました。胃袋の中にはアルミ箔やロウソクの蝋、玉ねぎの皮などが残されていたと言います。我が子と同じ3歳。

体重は半分にも満たなかったのだそうです。

 

ネットニュースのコメント欄には、母親を叩く辛辣な言葉が並んでいました。僕は案の定、その言葉をじっと眺めていました。

 

繊細な感性は、犯罪者だから叩かれても良い存在だ、とは捉えることができません。相手を深く思いやり、まるで自分が言われているような気持ちになります。

 

 

まして、お母さんは18歳でした。自分が18歳だった頃を思い出すんです。僕はそんなに立派な人間ではありませんでした。

3歳の女の子は18トリソミーという染色体異常の重い障害を抱えていました。歩行もままならない病気です。

 

お母さんは18歳のシングルマザー。重い障害を抱えた3歳の娘と二人の暮らし。彼女の行為を肯定するつもりはないけれど、ネット上で叩くだけの人を見て、「本当にそれでいいの?」と僕の心を悲しみが覆い尽くしました。

 

 

帰国した後、僕は『子育て万博』というイベントをプロデュースしました。もしあのとき、このお母さんが同じ障害を持った子どもを育てる別のお母さんと出会えていたら、結末は違ったのではないか。

叩くだけではこの子は救えない。

罰を与えるだけでは、第2、第3の被害者と加害者が生まれてしまう。

 

僕はそんな思いを形にしました。

 

子育て万博2019

 

社会はどうして他者に寛容でないのか。

もっと優しい社会になったらいい。

僕を突き動かすのはそんな思いです。

 

中学校の先生として3000人以上の子どもたちに出会ってきました。

一人ひとりみんな違っていて、その個性を大切に育ててきました。

 

生徒指導の先生。それも市内で最も悪名高い、校名を言えば教育関係者でなくとも「あの学校って…」と言われる学校です。

 

世間的には「不良少年」と呼ばれる子どもたちとずっと過ごしてきました。悪い子だと思ったことはありません。付き合っていくうちに、たくさんの素敵なところが発見できました。

 

いろんな子どもたちがいて、一人ひとり違っていて素晴らしい。

僕は心からそう思っています。

 

ある日のこと。

そんな彼らが学校のグラウンドで好き放題やっていました。そうなると、先生たちには手に負えなくなります。

教室の窓からそれを眺めていた学級委員の女の子が、

「なんで先生は注意しないんですか!」

と怒りました。

僕は彼女に尋ねました。

「君はどうしたい?あれをやりたい?」

「私はやりたくありません」

「あいつらは、あれがやりたいんだよ」

「でも、悪いじゃないですか!」

「俺は君たちのやりたいことを全部応援する。あいつらがあれをやりたいなら、今はあれがやりたいんだよ。俺はそれを応援する。でも、君が教室でがんばりたいなら、俺はそれも応援する」

彼女は黙ったままでした。

「君はどうする?」

「私は教室でがんばります」

「そうか。応援するよ」

と伝えると、彼女は自分の席に戻りました。

大人の言い訳に聞こえたかもしれません。でも、僕の本心です。僕は嘘のつけない人間です。

目の前の人を応援すること。それしかできない不器用な人間なんです。

 

自走する組織の作り方 講演会

 

ひまわりの種を蒔いたら、ひまわりの花が咲くのが当たり前。

あさがおの種を蒔いたら、あさがおの花が咲くのが当たり前。

ひまわりをあさがおにはできないし、あさがおをひまわりにもできないから、咲きたい方向で咲くように僕はただ寄り添うだけ。

 

そんなことを繰り返してきた16年間でした。

だから、自分のことを「いい先生」だなんて思ったことがない。「この子はどんな子だろう?」ということを繊細な心で感じ取って、僕にできることをする。ただそれだけの毎日でした。

 

校長先生にどう思われようと、同僚にどう思われようと構わない。ただ目の前の子どもたちのために何ができるかだけを考えてきました。決して扱いやすい職員ではなかったと思います。

 

でも、教育者としての信念だけは曲げることができませんでした。

 

「目の前の子の花の種を知って、その子の花が咲くように、大人は関わるだけでいいんです」

幼稚園や保育園、小中学校で、そんな話をし続けてきました。

 

 

そんなとき、あるお母さんから言われたんです。

「先生。親はね、自分の子どもがどんな花かがわからないから苦しいんですよ」と。

 

たしかに僕は3000人以上の子どもたちに出会ってきました。だからこそ、いろんな子どもたちがいることを知っているし、その経験から「こんなときはこうすると良いですよ」というお話をしていました。

 

それで僕は生年月日から、その子その子の「ものの見方や感じ方の傾向」を理解するコンテンツを活用するようになりました。

 

お母さんたちが、我が子の相談に見えます。お母さんが話す我が子の話は主観で語られたものです。僕はその子に会ったことがないのですから、なかなか的確な助言ができません。

 

子どもに会って、話して、その子のことを理解していれば、お母さんに伝えられることがあります。けれど、お母さんの主観的な言葉だけでは、僕は僕に自信が持てないのです。

 

「不登校」ひとつ取っても、お母さんが「いじめだ」と言っているけれど、実際は「学力不振」だったり、「人間関係」だったり、もしくは様々な理由が複合的に絡み合っていたり。

 

人を理解するためのモノサシがないと、真に人間を理解することは難しいのです。

 

 

正直言えば、「生年月日なんかで人の何がわかるの?」という思いがありました。それは今でもあって、だからこそ誰よりも研究に研究を重ねてきました。

 

お母さんたちが笑顔になり、先生たちが明日へのエネルギーに満ち溢れた顔つきに変わる。

そんな姿を目の当たりにしながら、僕はこのコンテンツを大切に大切に育ててきました。

 

やがて、僕のもとには学校や幼稚園・保育園の先生、スポーツ指導者、経営者さんたちが集まってくださるようになりました。研究に研究を重ね、経済産業省の事業再構築補助金事業として自社開発のアプリも完成させました。

 

あくまでも、人間を理解するためのモノサシです。繊細な感性で人間を理解し、それを共通言語にしてみんなで育ててきました。

 

人は理解されたい生き物だから。

互いに理解し合おうとする社会はたぶん、他者に寛容な社会だと思うんです。

 

 

昔、学校の正門にいわゆる暴走族のようなオートバイを横付けして、特攻服の少年が息巻いていました。それを取り囲むように先生たちが大挙して押しかけ、一触即発、押し問答になっていました。

 

僕は授業を終えて急行すると、先生方には下がっていただきまして、その子と2人きりになりました。

最初は乱暴な言葉遣いの彼でしたが、僕が彼のバイクを褒めるたび、言葉が柔らかくなっていきました。

 

バイクのマフラーを先輩と交換した話、変形したロケットカウルを友人からもらった話を一生懸命お話してくれました。

僕はただ「そうか、そうか」と聞いてやり、「すごいね」と褒めました。

 

気を良くした彼は、僕のことを「先生」と呼んだので、それで彼の心に橋が架かったと判断した僕は、「バイクを移動しようよ」と提案しました。

彼は快くそれに応じてくれました。

 

相手を理解しようとすること。それがわかり合うための「はじめの一歩」。

いつもそうやって、目の前の人を理解することに努めてきました。

 

 

僕が今、提案しているDOC理論。その人の持って生まれた個性であるDestinyを大切に、組織をつくる(Organize)ためのコミュニケーション(Communication)です。

 

この理論を学んでくれた学校の先生が、職場の先生方と一緒に勉強会を開いてくれたんだそうです。

DOC理論を共通言語に、子どもたち一人ひとりの理解を深めていく。

「このタイプの子にこんな関わり方をしたら、うまく行ったよ」

「じゃあ、新学期、私もこの子に試してみようかな」

そんな話題で盛り上がったそうです。

 

これまで、学校の先生向けのオンライン勉強会を開いてきました。

面白かったのは、幼稚園の先生が心がけている子どもへの関わり方を聞いて、大学の先生が「今度、学生にやってみます」と話していたこと。

校種が違っても、共通言語(モノサシ)があれば、情報共有ができるのです。

 

お母さんが我が子にしていることを先生が聞いて参考にする。それを聞いた経営者さんが社員の声かけの参考にする。

それって凄いことだなと思うんです。

 

僕は僕の伝えることが正解だとは思っていません。僕をヒエラルキーのトップにしたコミュニティーなんて絶対イヤだし、みんなには信者になってほしくありません。依存するような人も、依存させるような人も好きではないのです。

 

一人ひとりが自分の頭で考え、自分で行動する独立した存在であること。僕はそんな仲間と学びたいと思っています。

 

僕のところに集まってくれるみんなは、そんな人たちばかりです。

「くれちゃんの周りには良い人しかいないね」とよく言われますが、たぶんそういう人間しか集らないからなんだと思います。

 

 

自分の中にある答えや気づきをシェアし合うことで、人間への理解が深っていきます。共に学ぶ仲間の存在こそに価値があります。

 

 

僕のことを好きな生徒もいましたし、嫌いな生徒もいました。人間には一面しかないわけではありません。いろんな角度からその人を理解していく必要があります。

 

僕のある面を見て好きになる子どももいたでしょうし、僕のある面を見て嫌いになる子どももいたでしょう。

 

「この子はこんな子だ」と決めつけるのではなく、「こんな面もあるし、こんな面もある」と、みんなでいろんな角度から見て、それをシェアし合うことで、人間そのものをもっともっと理解していく。

 

 

先日開催した 第1期Relationship Meisterはそんな時間の連続でした。

学んでくれたみんなが、今度は自分の職場、チーム、教室、家庭に戻り、その場所をあたたかくしてくれる存在になってくれると信じています。

 

この社会を他者に寛容であたたかい世界にしたい。

優しい社会を子どもたちに残したい。

 

それが教育者である僕の願いです。

その思いに共感した仲間が今、僕のもとに集まっています。

 

もしあなたが今、少しでも僕の言葉に心を動かされたなら、次のページも読んでいただきたいです。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

https://minacrew.co.jp/briefing-session/

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。