「話し合い」から「聴き合い」へ
話し合い活動でなければダメですか?
「話し合おう」って伝えると、一生懸命話すんです。
だけど、聴いちゃいないんです。
だって「話し合い」なんだもの。
互いの主張のぶつけ合い。
平行線でもいいの、ぶつけ合いだから。
自分の考えと相手の考え。
どちらが優れているか。
そこが大事。
平行線でも構わないの。
自分の考えをぶつける。
国際社会で日本が生き残るためには、そういうのが大事らしい。
どうでもいいけど。
でもね…、って思う。
「同じグループの中のお友だちの話で、印象に残ったことを教えて」
と尋ねると、だいたいの子は覚えてないんです。
それで、叱る先生がいます。
「ちゃんと話を聞きなさい!」って。
だけど、先生が言ったんですよ。
「話し合いなさい」って。
「話」を「し合いなさい」って言ったんです。
教室では「聴き合い活動」がいい。
それで思うんです。
教室では「聴き合い活動」がいいんです。
自分の想ったことを話すんじゃなくて、友だちの想ったことを聴くんです。
「そうなんだね、そうなんだね」って、友だちの言葉に耳を傾けるんです。
子どもたちって素晴らしいから。
「話し合いなさい」って先生が言ったら、一生懸命話すんです。
だれも聴いてなくたって話すんです。
子どもはなんにも悪くないの。
一方、「聴き合いなさい」って言ったら、一生懸命聴き合うんです。
すごく素直!
でもね、何が違うか、わかりますか?
聴かれたらね、子どもは一生懸命話すの。
聴いてくれてるから、一生懸命話すの。
それで、聴く方も一生懸命聴くの。
一生懸命と一生懸命のぶつかり合い。
自分はこう考えるけど、あの子はこう考えるんだってなる。
自分の考えもいいけど、あなたの考えもいいねってなる。
きれいごとじゃなく、そうなるの。
こうでなければならないは邪魔だ!
だけど、昔から「話し合い活動」ってあるじゃない?
だから、それが正解だと思い込んじゃう。
考えない先生は、「それやっときゃ正解でしょ?」ってなっちゃう。
でもね、
子どもの前に立つ大人は、もうそういうのはダメだと思う。
自分で考えられない大人は、子どもの前に立っちゃダメだと思う。
目の前の子どもたちにとって、何が幸せ?
そういうことを真剣に考えられる大人が、子どもたちの目の前に立つべきなんだ。
そうやって、教育は変わらなきゃいけないんだよ。
ハッピーな先生になるためのステップ
「聴き合い活動」で、教室をもっとハッピーな場所にする。