人を良い・悪いでジャッジしてしまうときは
東洋哲学では、この世界はすべて陰と陽でできていると考えます。
僕らはどうしても「良い」と「悪い」でこの世界を眺めているところがありますが、何が良くて何が悪いかはその瞬間瞬間で変わったりもします。
物事には光の部分もあれば影の部分もある。
そんな捉え方をしたいと思います。
例えば、職場にすごく仕事ができない人がいます。
それだけを見れば「悪い」かもしれません。
でも、その人がいるおかげで、自信を持って仕事ができている人もいたりします。
そこを切り取れば、「良い」かもしれません。
え?仕事ができない人がいると、自信を持つっておかしくない?
確かにそうですね。
でも、考えてみてください。
職場にいる人がみんな優秀で、なんでもテキパキこなして、誰一人ミスをしない。
だとしたら、あなたは息が詰まりませんか?
完璧すぎると、窮屈です。
誰かが間違えることで笑いが起きたり、「自分も気をつけなきゃな」と思ったり。
ミスそのものは集中力の欠如かもしれないけれど、ミスを許すという文化のおかげで緊張せず仕事に臨めたり。
つまりね、何が良くて何が悪いかなんて、なかなかジャッジできるものではないということです。
たとえば、元総理大臣の安倍さんが亡くなりました。
それは決して良いことではありません。
でも、その結果、カルト宗教などに世間の目が向くようになりました。
わりと、この社会にはそういうことが多くあります。
一見悪い出来事なのだけど、そのおかげで社会の闇に光が当たったり、社会の膿が出されたり。
大きな事故が起きることで、社会がその問題に気づくなんてことがありますよね。
物事をある一面だけで切り取ると「良い・悪い」とジャッジできるのですが、もう少し大きな視点で俯瞰して眺めると、それは「良い・悪い」では片付けられなかったりもします。
ですから、物事を「良い・悪い」ではなく陰と陽の両面を見ましょうと考えるんですね。
光もあれば影もある。
両面を見るんです。
あの子はあれができない。
だから、ダメな人だ。
そんなふうには考えないでください。
そういう面もあるよね。
だからこそ、こんなふうに組織の中で生かせると思うんだ。
そういう視点でリーダーは人を眺めていただきたいのです。
細かい性格をしていて、いちいち細々としたことを告げ口してくる人がいます。
「あれはおかしくないですか?」
「これはどうなっていますか?」
あーいちいち面倒くさい!!
そんなふうに思わないでください。
そのおかげで大きなミスが起きていないかもしれません。
そのおかげで、いいかげんなタイプの人に注意喚起ができているかもしれません。
すべての人には光もあれば影もある。
むしろ光が強いほど影も深くなります。
「良い・悪い」とジャッジしてしまうときこそ、自分の視点の偏りに気づくチャンスかもしれません。
メルマガ登録
毎朝6時に「人間関係づくり」をテーマにしたメルマガをお送りしています。
↓↓↓画像をクリックして登録してくださいね。