ルールを守らせるということの前に 〜校則について考える〜
ルールを守らせることは大切なことです。
社則や服務規程、校則など組織には必ずルールがあります。
でも、ルールを守らせる前に考えていただきたいことがあるのです。
僕は、いわゆる荒れた中学校で生徒指導主事をしていた経験があります。
生徒指導主事というのは、ルールやルールを守らせることを中心になってやるリーダーの立場だとご理解くださいね。
初めてその学校に赴任したときは、本当に驚きました。
今でこそ落ち着いた学校に様変わりしましたが、当時は本当に大変でした。
授業中、黒板を書いていたときのことです。
ツカツカと生徒が歩いてやってくる気配だけがしました。
(なんだろうな?)と思って振り返ろうとした瞬間、背中をドン。
「痛っ!」と叫んで振り返ると、男の子がぼんやり立っていました。
思わず、「どうしたの?」と尋ねたら「ムカついた」と言って自席に戻っていきました。
「ムカついた」という理由で殴ってきたのです。
僕は板書をしていただけですよ。
あまりの驚きに僕は何も指導ができませんでした。
いきなり無防備な先生を殴る。
しかも、教室で授業を受けている生徒が、です。
なんだか凄い学校だな、と思いました。
それに、それを見ていた他の生徒たちもノーリアクションなのです。
先生が殴られているのを、わりと普通に受け入れている空気感を想像してみてください。
ある日の下校指導。
下駄箱で子どもたちを見送っていました。
ウチのクラスの手のかかる男の子が「おい、靴紐縛ってよ」と言います。
中学生にもなって靴紐を結べないことに驚きつつ、時間もなかったので「座りなさい」と促し段差のところに座らせて靴紐を結んでやりました。
そのときです。
しゃがんだ僕の首を後ろから誰かが絞めたのです。
僕は驚き、振りほどこうとしましたが、手を離してくれません。
苦しく目の前の風景が白んでいくのを感じながら、首に回した指を捻り、なんとか脱出することができました。
振り向くと、自分の学年の生徒でもない見ず知らずの生徒がニヤニヤと立っていました。
何を言っていいか分からず、「なに?」と尋ねる僕に彼はニヤニヤしたまま、下校していきました。
そんなことが立て続けに起こって、僕はとんでもない場所に赴任してしまったな、と思いました。
よくある中学校のように、制服がどうだ、前髪がどうだ、そんな瑣末な指導ができるような環境にはありませんでした。
暴力はダメだよ、掲示物を破らないよ、ちゃんと座るよ、、、。
そういうところから始めなきゃいけなかったのです。
でも、そういうことがなかなか伝わりません。
伝わりません、というよりは「声が届かない」の方が正しいかもしれませんね。
聞く耳を持たないんです。
そして、暴力が起きても、それを指導する体制もありませんし、とにかくこれまで僕が先生としてやってきた「当たり前のこと」が全部覆される、そんな環境でした。
それで僕がやったのが人間関係づくりです。
これしかありません。
校則があります。
でも、それを指導できるのは人間関係があるからです。
見ず知らずの人間が見ず知らずの人間を注意したり、ルールを守らせたりすることはやっぱり難しい。
だから、まずは彼らを知り、彼らと対話し、彼らと人間関係づくりをしました。
人と人は、心と心に橋を架けてからしか言葉は届かないんです。
何の人間関係もない人に「ルールを守ろう」と言われても、「そんなの知らんわ」と思われるのが関の山です。
ですから、校則とかルールを考える前に、まず指導する相手との人間関係はどうか、というところに目を向けていただきたいわけです。
人間関係ができていないまま、ルールだけが存在すると、指導すべき場面が増えていきます。
そのたびに、人と人との心理的距離は遠くなります。
僕は生徒指導を担当する身として、常々「ルールを減らそう」を訴え続けてきました。
「学校の先生」はルールが好きで、やたらルールを作りたがります。
ルールで子どもを管理しようとします。
でも、ルールは増やせば増やすほど、「注意しなきゃいけない場面」が増えるのです。
そして、「注意する」「叱る」みたいな時間は、確実に人間関係づくりを阻む要因になります。
赴任当初散見された暴力は、人間関係ができると目に見えて減っていきました。
ルールばかりに目を向けがちですが、そのルールを運用できるだけの人間関係ができているかの方が大切だと思います。
また、人間関係ができていると、そんなにも細かいルールは必要ないことにも気づくはずです。
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