意図した通りに人を動かすための人心掌握術
人はどうしたら自分の意図した通りに動いてくれるのでしょうか。
もしも他人を意図した通りに動かせたら、人生はすごく楽しくなりそうです。
例えば、意中の女性がいたとします。
その女性が僕の意図した通りに、僕のことを好きになってくれたら、とても素晴らしいことです。
そのためには、どうしたら良いか。
そんなことを研究しています。
こうやって書くと、なんだか一日中異性のことばかり考えている人間に見えますww
そんなことはありません。
人間とか、人間関係とか、そういうことを日々、真面目に研究しております。
これは組織運営でも同じです。
例えば学校の先生は生徒を意図した通りに動かせたらいいですよね。
勉強をしない子が勉強するようになり、不良少年は品行方正に変わります。
やる気のない部下が突然やる気になって、ガンガン営業活動に励んでくれたら、上司としては嬉しい限りです。
営業マンはお客様に「買いたい」と言わせたいわけでして、その意図通りに「ご契約」に繋がればハッピーです。
スポーツの世界も同じです。
練習に対するモチベーションの低い選手が、ひたむきに練習に取り組むようになればスポーツチームの監督さんも嬉しいと思います。
つまり、意図した通りに人を動かせたら最高なわけです。
でも、そんなこと、本当にできるんでしょうか。
ところで、あなたは自宅でお腹が痛くなったとき、どうしますか?
トイレに行きますよね?
そうなんです。
お腹が痛くなると、トイレに行きます。
当たり前です。
悩んで悩んでトイレに行ったりしません。
がんばって嫌々トイレに行くこともありません。
自然に動いてしまいます。
もはやトイレなんて無意識です。
結局、人間が動くのはいつだって「自発的」なんですね。
その人が「動きたい」と思ったら動くし、「動きたくない」と思ったら動かないんです。
例えば親が子どもに「あーしなさい」「こーしなさい」と指示をします。
「部屋を片付けなさい」
「お風呂に入りなさい」
「勉強しなさい」
……などと言うわけです。
そうすると、動く子と動かない子がいます。
それは、親の伝え方の問題だと勘違いされるのですが、本当は違います。
子どもが部屋を「片付けよう」と思うか、思わないか。
子どもがお風呂に「入ろう」と思うか、思わないか。
子どもが勉強を「やろう」と思うか、思わないか。
それだけの違いなんです。
相手の行動は相手の問題です。
僕ら人間が選択できるのは、自分の行動だけです。
そして、他者に与えられるのは情報だけです。
「部屋を片付けなさい」
「お風呂に入りなさい」
「勉強しなさい」
これは、ある種の情報です。
「部屋を片付けたほうが良い」
「お風呂に入ったほうが良い」
「勉強したほうが良い」
……という情報です。
これを聞いた相手が
「部屋を片付けるか」
「お風呂に入るか」
「勉強するか」
は相手の選択でしかない。
そこから先は他人である僕らに入り込む余地はないのです。
首に縄をつけて、身体に鞭を打って無理やりやらせる以外、方法はありません。
であるならば、相手を意図通りに動かすためには、「どんな情報を与えるか」が鍵になることがわかります。
つまり、コミュニケーションです。
相手を意図した通りに動かすために、どんなコミュニケーションを取れば良いか。
そのことがわかっていれば、人生は面白くなります。
世の中には「人たらし」と呼ばれる人たちがいます。
口が達者で、うまいこと相手の気分を乗せて、人をその気にさせて、自分の意図通りの行動をさせてしまう人たちです。
ある種のカリスマであり、一歩間違えれば詐欺師。
上手に口車に乗せていく才能は天下一品。
そういう人は、他人の欲望をキャッチするのが上手いです。
要するに、先ほどの「トイレに行きたい」という話と一緒なんですよね。
「あなた、トイレに行きたいよね?」
「じゃあ、トイレに行ったら?」
……と言うのが上手いんです。
相手の欲望、「こうなりたい」「こうなりたくない」、そんな快不快をうまくキャッチして、相手に意図した行動をさせてしまいます。
実は
「部屋を片付けなさい」
「お風呂に入りなさい」
「勉強しなさい」
も同じです。
「怒られる」という不快な体験から逃げたくて、子どもは渋々行動します。
渋々行動していますから、部屋の片付けは押入れの奥に荷物を詰め込むことになるし、お風呂は身体を洗わずに出てくるし、勉強も頭にはちっとも入りません。
嫌々行動させると、そういうことになってしまうんですね。
ですから、「自発的」に行動させたいわけです。
となると、いかに相手が自発的に行動したくなる情報を与えるかにかかってきます。
「人を意図した通りに動かす」という高いマネジメント能力を支えるのは、ある種の強烈なコミュニケーション能力です。
そのコミュニケーション能力とは、「何をどのように伝えるか」ということ。
たとえば「親」と「子ども」の場合は、「高圧的」に「あれをしなさい」「これをしなさい」でも動くのです。
「怖い」から「不快」で、その「不快」から「逃がれる」ために、親の意図した通りに行動します。
でも、こんなコミュニケーションは、やがて思春期を迎えて子どもの身体のサイズが親のそれを超えたときには逆転して、言うことを聞かなくなります。
それではダメなのです。
人を動かすためには、もっともっと巧みなコミュニケーションが必要なんです。
ですから、僕らはもっとコミュニケーションについて学ばなければなりません。
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