子どもに「裏切られた」と感じたら
そのマインドは、先生も児童生徒も苦しくさせますよ
信じていたのに!
どうして?
どうして?
あれだけ約束したじゃない?
どうして?
どうして?
この仕事をしていると、そんなことの連続です。
「ちゃんと宿題をやってくるって言ったじゃない?」
「もう忘れ物はしないって言ったじゃない?」
それを、約束を破ったとか、裏切られたと感じてしまうと、先生も子どもも疲れてしまいます。
子どもたちは裏切ってなどいません
僕らは子どもたちに期待を寄せてしまいます。
その期待は、先生自身の「こうしたい」という望みでもあります。
たとえば、
「忘れ物をなくしたい」
という想いを先生がもっていたとします。
その想いは、どこからやってきたのでしょうか。
どこから生まれたのでしょうか。
心から子どものことを思いやってのことならば、「裏切られた」とは感じないはずなんです。
忘れ物しちゃったら、次はどうしてあげたらいいかなって考える。
ただ、それだけなんですよね
「裏切られた」と感じているならば、そこには自分の指導力を見せたいという野心が顔を出しているのかもしれません。
子どもたちには「裏切った」という感覚はありません。
子どもたちは今を精一杯生きています。
その子その子のペースで、ひたむきに生きています。
「忘れ物」をした子は、「忘れ物をしてやろう!」と思ってしたわけではないですね。
「宿題」をやってこなかった子は、「宿題をやらずに行ってやろう!」と思ったわけではないですよね。
それは、その子その子のもともともっている能力や環境に寄ることも多いでしょう。
子どもたちは裏切ってなどいないのです。
つまり、
「裏切られた」と感じているのは、先生自身が「感じている」感覚なのです。
失敗を受け止めるのが「ハッピーな先生」のお志事です
子どもたちは何度も失敗します。
忘れ物をしてきます。
宿題を忘れてきます。
でもね、
それを怒りにまかせて叱っちゃダメなんです。
「裏切られた」という想いは、「怒り」に変わります。
「怒り」で指導しても、子どもは変わりません。
なぜならば、「怒り」から届くのは、「怒っている」という感情だけだからです。
だから、しっかりと受け止めてあげる。
そして、チャンスをあげる。
また、失敗するかもしれない。
でも、いいじゃない?
また、チャンスをあげれば。
その繰り返しで、子どもたちは育っていきます。
ハッピーな先生になるためのステップ
子どもの失敗を受け止められる、大きな器をもつといい。