「学校に行かない」という選択に寄り添う
学校に通えなかった転入生のお話
その子は、いわゆる不登校の子でした。
以前の学校で登校することができず、転校してきました。
家庭訪問すると、お母さんは言いました。
「たぶん登校することは難しいと思います。
無理に行かせようとも思っていないので、
この子のペースで行ければと思っています」
お母さんはお子さんのことをとてもよく理解されていました。
だからでしょうか、その子は、非常に明るく、よくお話をする子でした。
「学校はなんか辛いんですよね〜」と、明るく言います。
何度目かの家庭訪問だったと思います。
「まぁ、遊びに来るつもりで、カウンセリングルームにでも来るかい?」
そんな言葉を投げかけました。
それから、来たい時間に来て、帰りたい時間に帰る。
そんな生活が始まりました。
それでも、教室は遠かった
休み時間のたびに、カウンセリングルームをのぞきました。
自分のペースで勉強しています。
空き時間があると、いろいろおしゃべりをしました。
正直言うと、「なんで教室に行けないんだろう?」と思いました。
カウンセリングルームは、スクールカウンセラーの先生がいないと、がら〜んとしています。
なんとも寂しい部屋なのです。
ある日のこと。
「カウンセリングルームも寂しいから、保健室に行ってみない?」と投げかけました。
「そうですね。ここよりも楽しそう」と言うので、保健室に拠点を移しました。
保健室は、僕のクラスの真下にありました。
何人かの子どもたちが、その子とお話がしたいから保健室に遊びに行ってもいいですか?と尋ねてきました。
その子も、みんなとお話がしたいというのです。
ですが、「保健室で遊んではいけません」というのが、ほとんどの学校のルールです。
保健室は溜まり場になりやすい場所でもあります。
いろいろと頭を下げて回り、養護教諭の先生にも無理を言って、休み時間のたびに、ひとりふたりの生徒が保健室に行くようになりました。
何気ない会話のやりとり。
一見すると、教室と変わらない姿でした。
楽しそうにしています。
そろそろかな、と思った僕は、こう言いました。
「ねぇ、教室行ってみるかい?」
彼はしばらく考えて、「そうですね」と言いました。
周りの子も、「行こう!行こう!」と言います。
ですが、その子は椅子から立ち上がることはできませんでした。
ただ、じっと座ったまま俯いています。
最後に顔を上げると、笑顔でこう言うのです。
「先生、やっぱり無理。立てない」
僕は、穏やかな表情でこう言いました。
「無理言ってごめんね。わかったよ」
子どもの選択を認め、寄り添う
正直言えば、この子が教室に行けない理由はわかりませんでした。
最後の最後までわかりませんでした。
無理やり引っ張っていけば、教室に入れられたかもしれません。
でも、僕はそんなことをしたくはありませんでした。
僕にできることと言えば、この子の気持ちを認めてあげることだけでした。
「行かない」という選択を認める。
それだけでした。
教室に行けないのではない。
「教室に行かない」という選択をしている。
僕は、いつもそうやって考えています。
だから、積極的に登校刺激を与えないことに対して批判されることもあります。
「この先生はヤル気がない!」
「子どものことを考えていない!」
そんなふうに言われたこともありました。
その批判、甘んじて受け入れました。
これまで、たくさんの「不登校」の子どもたちと接してきました。
朝、学校に行きたくない!と言う子は、もうたくさんいました。
家に行って、ずっと隣でマンガ本を読み続けたことがありました。
行方不明になり、バイクで学区内を数時間探し回ったこともありました。
トイレから出てこなくなった子のために、トイレの扉越しに教育相談をしたこともありました。
返事の来ない相手に、ひたすら手紙を書き続けたこともありました。
でもね、「学校に来い!」とは言いませんでした。
いつも、「行きたくなったらいつでもおいで。待ってるからね」とだけ伝えました。
行きたくない場所に、無理やり連れていくことが、この子のハッピーにつながるのだろうか。
学校は、すべての子どもをハッピーにできるほど万能なのだろうか。
僕にはまだ、答えがありません。
いろんな選択肢があっていいと思うのです。
子育てにも、教育にも正解はありません。
子どもたち一人ひとりに寄り添っていくのが、子育てであり、教育。
そんなふうに考えています。
ハッピーな先生になるためのステップ
結局できることは、子どもたちの気持ちを認めて寄り添うことだけなんだ。