ただ、目の前の子どもを愛するということ
「先生」に育ててくれた生徒の話
彼は月に一度、学校に顔を出すような生徒でした。
金色の髪をなびかせ、極端に短い上着と、これまた極端に太いズ ボンを履いて登校し、そのたびに家に帰されるような子でした。
出会って2年目、彼は僕のクラスの生徒になりました。
中学3年生ともなれば、教室は受験モードになります。
ですが、彼はどこ吹く風のように振る舞い、暴れました。
目が合うたびにつかみかかる。
何度、止めたことでしょう。
暴れた子をクリンチで止めるという技術は、その時代に会得しました。
あるとき、僕は学年の生徒指導の先生に呼ばれました。
放送室の個室。
「君も生徒もあいつには困っている。担任として、学校に来るなと言いなさい」
そう言われました。
正直な気持ちを言えば、「この子さえいなければ」という気持ち、確かにありました。
「目の前の子どもを幸せにする」
そんなことを書いている僕ですが、そのとき、「この子さえいなければ」という気持ちがあったのです。
恥ずかしい話ですが、事実です。
それでも思いました。
本当にそれでいいのか。
それでいいのか。
それでいいのか。
なぜだか、わかりませんが、ボロボロと泣いてしまいました。
不甲斐ないやら、どうしていいのかわからないやら。
もう、嗚咽をもらして泣いてしまいました。
救えるのはあなただけでしょ?
困難にぶつかったとき、必ず救ってくれる人が現れます。
お世話になった先生がいました。
僕に、教師という仕事のイロハを教えてくださった女性の先生です。
彼女は学校では僕にとって母親のような存在でした。
生徒指導の先生に言われた言葉を耳にした彼女は、僕にこう言いました。
「あなたが『学校に来るな』と言えば、みんな楽かもしれない。
けれど、彼が今の人生から立ち直るきっかけはなくなるの。
救えるのはあなただけでしょ?
それにね、子どもに「学校に来るな」なんて言う人は、もう先生ではないんだよ」
もう先生ではない…。
救えるのはあなただけ…。
「僕に何ができるのだろうか」
その夜、一睡もすることなく朝を迎えました。
翌日の学年の会議は紛糾しました。
生徒指導の先生の「学級担任から学校に来るなって言うから」という言葉に対して、僕は思いっきり啖呵を切りました。
「そんなことは言いません。僕がなんとかしますから」
何を言われても、僕は首を縦には振りませんでした。
重たい空気のまま会議は終わりました。
そして、僕は学年で浮いた存在になりました。
ただ、それで腹をくくることはできました。
それから僕は毎日彼と語り合い、つかみ合い、じゃれ合いました。
少しずつ成長していく姿。
クラスの仲間とも次第に打ち解けていったのでした。
技術よりも「愛」なんだ!
迎えた卒業式の日。
各クラスに一人ずつくらいは、赤や白の衣装をまとった子どもたちがおりました。
廊下や階段で押し問答をしている姿。
なんとなく不安な気持ちで、最後の学級活動のために教室に向かいました。
扉を開けると、彼はきちんとした制服を着てそこに座っていたのです。
「おう、最後だからな。ちゃんとするわ。
先生、ありがと」
はにかむ笑顔で、彼はぶっきらぼうに言いました。
僕は一人として見捨てない。
そういう先生になれたのは、彼のおかげだと思っています。
特別な技術はありません。
生徒指導のノウハウもありません。
どうなるのか、見通しもありません。
そんなころの話です。
ただ、目の前の子どもを愛すること。
それに優る教育技術はありません。
ハッピーな先生になるためのステップ
すべての子どもを、ただ愛するだけでいい。