フォーカスするものを変えたら教室は変わります。
幸せになる「ものの見方」
高島亮さんは、あの小林正観先生の教えを伝える師範代。
先日の合宿で亮さんから、幸せになる方法をお聞きしました。
それは「ものの見方」にあります。
出来事は出来事。
それ自体が、「幸せ」とか「不幸せ」とかを表すものではないそうです。
子どもたちとこんなやりとりをしました。
先生「君が帰り道で100円拾ったとするじゃない?ラッキーだと思う?」
生徒「はい、ラッキーです」
先生「でもね、君より10秒早くそこを通ったBさんは1000円拾ったんだって。どう思う?」
生徒「もっと早く行けばよかったって思います」
先生「ラッキー?アンラッキー?」
生徒「アンラッキー」
先生「100円拾ったって事実は変わらないのにね」
ものの見方や感じ方は人それぞれ。
出来事が出来事として、それをラッキーと感じるか、それともアンラッキーと感じるかも、人それぞれなんですよね。
「あるもの」に気づくと幸せになれる。
それで、教えていただいたのが、「あるもの」にフォーカスすると、人間は幸せに感じるよってことでした。
僕らはどうしても「ないもの」に焦点を当てがちです。
「お金がない」
「彼女がいない」
「かわいくない」
「モテない」
でも、「ないもの」にフォーカスするほど、不幸せがやってきます。
子どもたちも同じですよね。
「成績がよくない」
「勉強ができない」
「片付けができない」
「あたたかい言葉遣いができない」
などなど、「ないもの」にフォーカスし、「ないもの」を指摘され、みんなで苦しい方苦しい方へと向かっていきます。
その子その子の「あるもの」を見つめたら
授業参観で、こんなワークをしました。
付箋紙に「あるもの」を書き出し、模造紙に貼っていきます。
その後、こんな課題を出しました。
「その付箋紙の中で、これは無くてもいいかな、ってものを剥がしてみようか?」
子どもたちは、「これもいらない」「あれもいらない」と剥がしていきます。
残ったもの、それは…。
「手」
「目」
「鼻」
「口」
「耳」
「友情」
「内臓」…
で、みんなに尋ねました。
「ねぇ、それらに感謝してる?」
子どもたちはハッとした顔をしています。
「ねぇ、あるのが当たり前だと思ってない?」
もしも、それらがなかったら、どんな生活が待っているでしょうか。
それを思えば、自分がいかに尊いものかがわかります。
学校の先生も同じなんです。
「ないもの」にフォーカスすると、学級の歯車はだんだんギスギスしてくるの。
「あるもの」にフォーカスしてそこに感謝すると、学級って驚くほど変わるんです。
子どもたちがいて、教室があって、教科書があって、もう「あるもの」だらけ。
明日から「あの子」が来なかったとしよう。
ずっと来なかったとしよう。
むちゃくちゃ寂しい!
教室にいなくていい子なんていない。
「あるもの」に感謝する。
それだけで教室は変わります。
ハッピーな先生になるためのステップ
「あるもの」に感謝すると、教室がハッピーに見えてくる。