僕らの志事は「喜ばせゲーム」なの♪
孔子の言葉から気づいたこと
先日、漢文の授業で、心に刺さる孔子の名言を紹介しよう!ということをやりました。
これがなかなかおもしろい。
2500年も前の人の教えが、今の世の中にもちゃんと通じるんですね。
で、子どもたちが紹介してくれた中で、僕の心に刺さったものがコチラ。
知之者不如好之者、好之者不如樂之者。
(これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。)
知っている人よりね、それが好きな人。それが好きな人よりね、それを楽しんでいる人。
楽しんでいる人には敵わないよね〜♪という意味です。
教育について「わかってる!」って先生よりね、子どもと過ごすことが好きな先生の方がいいな。
子どもと過ごすことが好きな先生よりね、子どもと過ごすのを心から楽しんでいる先生がいいよね。
孔子先生、さすがです!!
楽しんでますか?先生という仕事を。
教室で過ごすことを楽しんでいますか?
教室に行くことに、ワクワクしていますか?
「先生って、楽しそうだよね」ってよく言われます。
はい!楽しんでます!
「ハァ〜、疲れた〜っ。仕事って辛いな〜」って顔、大人がしていたら子どもたちはどんな気持ちになるだろう?
大人になることに希望をもてるでしょうか。
「大人になるって素敵だよ」って伝えたいから、先生は生き生きと人生を楽しんでなきゃなって思うんです。
たとえば授業。
これ、よく驚かれるのですが、一年が終わると教材研究した授業ノート、全部処分します。
「え〜っ!もったいない!」って言われますが、僕はそうは思いません。
その授業ノートを使えば、たしかにうまくいくんです。
うまくいくのはわかっているけど、それじゃあ楽しくないんです。
攻略本読みながら、ドラクエやる気分です。
だから、全部捨ててしまう。
そして、今度はどんなアプローチでいこうかな〜って考える。
授業のつくり方は頭の中にあるので、苦労はしないし失敗もしないのですが。
「新しいアプローチで授業をつくる」
これ、僕にとってはワクワクすることなのです。
古いノートがあるとどうしてもそれに頼ってしまうんですよね。
楽しみ方は人それぞれ。
でもね、やっぱり思うんです。
心から「学校の先生」って仕事を楽しまないとなって。
「喜ばせゲーム」が仕事を志事に変える
「楽しい仕事」とか「つまらない仕事」とか、ないんです。
「仕事」は「仕事」です。
それを楽しいと感じている「私」がいる。
それをつまらないと感じている「私」がいる。
ただ、それだけ。
だから、「どうしたらこの仕事がおもしろくなるだろう?」って問いを立てたい。
僕ね、「学校の先生」って志事は「喜ばせゲーム」だと思っているの。
「1日に何人の人を喜ばせることができるだろう?」
そういうゲームだと思えば、仕事は志事に変わります。
同僚に配る資料には付箋をつけてメッセージを書いてみる。
先生の学習会とか企画してみる。
子どもたちのノートにはイラストを描いてみる。
鼻にセロテープをつけて、ブタ鼻にして職員室に来た子を笑わせる!
あっちで困っている子がいれば行って話を聞いてやり、こっちで困っている子がいれば行って手を貸してやり。
そういう先生に私はなりたい… by雨にも負けず♪
そうやって、楽しんでみる。
僕が出会った「ハッピーな先生たち」は、みんな子どもたちを喜ばせる天才でした。保護者を喜ばせる天才でした。
その才能、だれにだってあるんです。その才能に気づくだけでいいんです。
最後に、孔子の言葉をもう一つ。
「何事も楽しんでやりなさい。楽しんでやることで、思わぬ力が発揮されるものなのだ」
ハッピーな先生になるためのステップ
「さぁ、今日はだれを喜ばせようか?」とワクワクしてみる。