だれかと意見が対立したときは
みんな違って、みんないいじゃん?
『わたしと小鳥と鈴と』
金子みすゞ
わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない
わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい
この詩、いいなぁ。
みんながこうなったら、ホントにいいのにな。
『みんな違って みんないい』
いろんな学級で扱ってるのに、なかなかこうはなっていかない。
それが残念で仕方がない。
間違いじゃないの、違いなの
ものの見方は人それぞれ。
それなのに僕らは異なる意見と出会ったとき、それを間違いだと認識します。
保護者と意見が対立したとき。
同僚と意見が対立したとき。
管理職と意見が対立したとき。
自分は正しくて、相手は間違っている、と考えてしまいます。
「なんで、わかんないの?」なんてさ、思っちゃうの。
でね、自分の正しさを証明するためには戦うしかありません。
いかに自分が正しいか。
いかに相手が間違っているか。
自己主張!自己主張!
あなたが勝とうとすることは、相手を敗者にするということ。
その勝負、勝っても負けても得るものはありません。
勝てば、そのときは満足するでしょう。
だけどね、いろんなものを失ってんだ。
戦争なんてそういうものでしょ?
保護者と対立したときは
ところで、あなたはトマトにはマヨネーズですか?それとも、ソースですか?
「トマトにはマヨネーズだろ?ソースなんて間違ってる!」という人。
「いやいや、トマトにはソースだろ?マヨネーズなんて間違ってる!」という人。
どっちもトマトが好きなのにね。
自分と違うと、それは間違ってるって戦ってしまうんです。
大事なのはね、どっちもトマトが好きってことなの。
「へ〜っ、お宅はマヨネーズ派?」
「ええ。あなたはソース派なの?」
「そうなんです。お互い、トマトが好きですねぇ〜」
それでいいんだよね、ホントは。
保護者と学級担任が対立したとき、僕は間に入ることがありました。
感情的になってしまったお母さんをなだめるのはなかなか大変なことです。
先生は間違ってる!というお母さん。
お母さんは間違ってる!という学級担任。
でもね、どっちも子どものこと、大好きなの。
子どものために一生懸命なの。
ただね、表現技法が違うだけなんです。
うん、ソースかマヨネーズかって違いなんだ、ホントは。
だからね「一緒に、この子のためにできることを考えましょうよ。力を貸してください」とお願いをしています。
戦わないの。
敵がいなけりゃ無敵なんだ。
ちなみに、僕はトマトには塩です。
えっ?ソースとマヨネーズ?
みんな違って、みんないい!
ハッピーな先生になるためのステップ
違いを受け入れ、認め、許して、愛そう。