「違い」より「同じところ」が大事なの
ゴミはゴミ箱に、は常識ですか?
上海の路上には50メートルおきにゴミ箱が設置してありました。
日本人学校の正門の前にも、ゴミ箱が設置されていました。
灰皿付きの大きなゴミ箱。
ところがです。
日本人学校の守衛さんを務める中国人の警備員たちは、その灰皿付きのゴミ箱の横で次々とポイ捨てをするのです。
吸ってはポイ!
吸ってはポイ!
それは、僕ら日本人としては非常識な行動です。
ところが、ある警備員が言います。
「あいつらを見てみろ」
彼が指さす先には、国に雇われて道路を清掃している人がいます。
見るからに裕福ではなさそうな方々が、朝から晩まで掃き掃除をしています。
彼は続けて言いました。
「オレたちがタバコを捨てる。だから、雇用が生まれる。もしも、お前たちのようにゴミ箱に捨ててみろ。あいつらは仕事を失うんだぞ」
異文化理解とは違いに目を向けることじゃない
異なる文化を理解しようとするとき、僕らはすぐに違いを探してしまいます。
「違い」を知ることを理解だと考えてしまいます。
ですが、本当の理解とは、相手との共通点を探すことだと思います。
お互いが大切にしていることはなんだろう?
そこにフォーカスすることが、ホントの意味での理解につながります。
街を汚さないように、ゴミをゴミ箱に捨てる日本人。
雇用を生み出すために、ゴミをポイ捨てする中国人。
どちらも大切にしていること。
それは、他者への愛情です。
どちらも他者を大切にしている。
ただ、表現技法が違うだけなのです。
狭い国土しか持たない日本。
広大な国土を持ちながら、あふれるほどの人口を抱える中国。
置かれた立場が変われば、表現技法は変わるのです。
お母さんが大切にしていること
このことは、学校においても同様です。
お母さんは間違っている!
学校は間違っている!
そう考える前に、お互いが大切にしていることにフォーカスします。
お母さんだって、学校だって、子どもたちのことを大切に考えてるの。
ただね、表現技法が違うから、「間違ってる!」って感じてしまうんです。
相手の置かれた環境のすべてを僕らは知ることができません。
わかっていないのに、勝手なジャッジを下してしまうという傲慢。
それでは、わかりあえることなどありません。
教育活動に万能なものなどありませんから、100人いたら100通りのやり方があるのが教育なんです。
「自分は正しくて、相手は間違っている」
そう考える前に、一歩だけ立ち止まる。
そして、相手との「つながり」を探ってみる。
それが、ホントの『保護者対応』だと考えています。
ハッピーな先生になるためのステップ
相手と同じところにフォーカスしてみる。