教師の無知は罪なんだ
聴覚過敏を知っていますか?
聴覚過敏の子に対して、きちんと対応してくれない学校があるというお話を耳にしました。
そのことが原因で学校に通うことをあきらめてしまった、とのことでした。
悲しいことだと思いました。
この子に罪はありません。
僕なりに調べ、専門家の方にもお話を伺って参りましたので、シェアさせていただきます。
なお、この投稿はまだまだ十分なものではありません。
詳しい方がいらっしゃいましたら、直接メールをいただけるとうれしいです。
「ここは違う」
「こんな情報がある」
どんなことでも結構です。
さて、恥ずかしいことを告白します。
そもそも、僕は聴覚過敏を次のように理解していました。
満員電車の中で会話も雑音も同じレベルで聴こえてくる。
だから、生活に苦労する。
そんなものだと思っていました。
なぜ、そんなものと思ったのか。
そう聞いたから。
よく調べもせず、聞いた話を鵜呑みにする。
これほど恐ろしいことはありません。
聞いたものが正しいとは限りません。
いいかげんな理解であったと、つくづく反省しました。
恥ずかしいことであると思います。
子どもたちがどれほど苦しんでいるか
それで盲学校や聾学校の先生、特別支援コーディネーターの先生などに尋ねて回りました。
聴覚過敏というのは、ある一定の音域に対して、とても敏感になるのだそうです。
いろんな子がいます。
ハーモニカの音がダメ。
チョークを書く音がダメ。
椅子が床と擦れる音がダメ。
電灯とノイズがダメ。
など、その子その子によって不快に感じる音域が違います。
僕らには聞こえないような、隣のクラスの笑い声に反応してしまうこともあるそうです。
そして、その痛みは耳に刺さって脳が震えるほどの痛みを感じるそうなのです。
僕らの耳には聞き取れない音域の音を感じ、叫びたくなるほどの痛みを感じてしまう。
周囲には、その痛みも音もわかりません。
突然叫ぶ子もいるとか。
無知な先生であれば、「普段の生活は楽しそうにやっているのに、この授業のときだけ騒ぐ。わがままだ!」となってしまうかもしれません。
「あの子のせいで、学級が落ち着かない」と言い出すかもしれません。
つくづく思います。
教師の無知は罪なのです。
感覚が過敏な子
そういうことを知っているだけで対応は変わります。
苦しいときなはイヤーマフをつけて音を遮ったり、不快な音がする授業だけ別室で過ごしたりという対応するとのことでした。
したがって、どの音域が不快で、どのように辛いのかを伝えられるといい、と教わりました。
「不快な音がしたら手を挙げる」というルールをつくるのもいいそうです。
なお、ほとんどの学校では医師の診断書を持参すれば対応するはずですが、ごく稀に対応してくれない学校もあるようです。(先ほどの学校のように)
ですが、この4月からは法改正され、必ず個に応じた支援をしなければならないそうです。
味覚にこのような症状が出る子は、特定の味を極度に不快に感じるそうです。
視覚にこのような症状が出る子は、特定の色が見えにくいということもあるそうです。
その子その子の感じ方ですので、周囲にはわかりません。
何が不快かをきちんと伝えられるようにしてあげることが第一段階のようです。
無知の知を自覚して学び続けることが教育者
今回のケースで僕が問題に感じたのは、先生の無知です。
知らないということは恐ろしいことです。
僕自身、今回聴覚過敏について学ぶ機会をいただいたことは、本当に勉強になりました。
僕らは学ぶべきことが山積みです。
しかしながら、それを学ぶための十分な時間がありません。
だから、学校だけを批判するつもりはありません。
しかし、このような無知が子どもたちを不幸にしていることを心に留めておきたいと思います。
教室に悪い子なんていません。
もしも、叫んでしまうとしたら、きっと原因があるのです。
重ねて書いておきます。
教室に悪い子はおりません。
ただ、苦しんでいる子がいるのです。
そういうことを心の隅に置いておくだけでいいのです。
教育で大切なのは「箱」ではなく「人」です。
僕も、まだまだ学ぶことだらけです。
ハッピーな先生になるためのステップ
目の前の子どもたちをハッピーにするために