学校名がすべてじゃないよ
「そんなところは、学校じゃありません」
ある年のこと、個人懇談会でお会いするたびにこんな話ばかりをするお母さんがいました。
「あそこの学校はよくない」
「この学校に入らなければいけない」
その横で、彼は能面のような表情で座っていました。
「で、○○くんはどう思うの?」
そう尋ねる僕に、彼はさも面倒臭そうな表情で、「母の言う通りで良いです」と答えました。
「母」という言葉が、いかにも彼に似つかわしくなくて、妙に印象に残りました。
中3、最後の個人懇談会を迎えました。
この3者面談で受験校が決まります。
このご家族が希望した学校は、いずれも無謀と呼んでいい挑戦でした。
お母さんに伝えました。
「この受け方をすると、すべて不合格になる可能性もありますが、いかがですか?」
すると、こんな返事が返ってきました。
「塾では、コレでいいと言われました」
(また、塾か…)
心の中で舌打ちをしました。
「いかがですか?一つくらい、余裕のある学校を入れてみるのは」
こう話す僕にお母さんは言いました。
「このレベルより下の学校なんて考えられません。そんなところは、学校じゃありません」
(この子は、お母さんの言うところの、学校じゃない学校に進むことになるのに…)
それを思うと、張り裂けそうな気持ちになりました。
この子はこの子であるだけで素晴らしい
僕は、お母さんの抱えている痛みに寄り添えるほど、そのころは成熟していませんでした。
僕は感情的になっていたと思います。
それでも、努めて冷静に言葉を選んで伝えました。
「お母さん、この学校に行けなかったら、この子はダメな子ですか?」
いつも無表情に座っていた彼の顔に血の気がさしたようでした。
「ダメじゃないです…」
お母さんは、か細い声でつぶやきました。
「それを聴いて、安心しました。厳しい挑戦ですが、応援しています」
努めて柔らかい声色でお伝えしました。
結局、彼は希望通りの学校を受験し、すべての学校から不合格をいただきました。
その後、彼の生活は荒れに荒れました。
「この子がこの子であるだけで素晴らしい」
そう思えたなら、無謀な挑戦などせずとも、「この子」が輝ける進路選択ができたのに。
痛みに寄り添える先生になる
内側に自信を身につけていないのは、なにも子どもだけではありません。
お母さん自身が、自分の内側に自信を育てていなかった。
だから、外側に自信を求めました。
それは我が子の高校の偏差値という歪な形で現れました。
「こんな偏差値の学校に進ませたら恥ずかしい」
それは我が子への愛だったのでしょうか。
今も答えはありません。
ただただ、お母さんの痛みを受け止めきれなかった自分の至らなさを悔いました。
もっと丁寧に進路指導ができていれば、このようなことにならなかったのです。
子育てって教科書がないから、いつだって手探りです。
不安になるものです。
そんなとき、何百人、何千人と子どもたちやお母さんお父さんの姿を見てきた僕らが、その経験の一端をお届けすることは、とても大切なのことなのだと思います。
何も偉そうなことを申し上げる必要はありません。
ただ寄り添うだけでいいんです。
ハッピーな先生になるためのステップ
お母さんの痛みに寄り添い、想いを受け止める。