人は自分に都合のいい情報を信じる
中学3年生の進路指導。
進路指導をしていると「学習塾の壁」とぶち当たります。
「塾の先生にはこう言われました」
「家庭教師の先生にはこう言われました」
その学習塾や家庭教師の先生が、どのくらいの進路情報をもっているかは知りません。
去年までのデータで話をするのが学習塾。
たくさんの卒塾生のデータを分析し、進路指導をする。
でもね、学校の先生って違うんだよね。
「去年のデータ」じゃなくて「今年どうなるか」で話をしているのね。
学習塾のもつ卒塾生のデータはたしかに膨大かもしれない。
でもさ、学校の先生は全生徒のデータで話をしてるのね。
他校の情報も含めてね。
たぶん、そういうのってどこの地域もそうだと思うの。
それにね、学校にはなんであんなに高校のパンフレットがあると思う?
願書も準備されているわけ。
なんでだと思う?
よくよく考えてみて。
私立中学入試。
不合格で普通の公立中学校に進む子、いますよね。
大学入試。
不合格で浪人する人がいますよね。
でもね、中学校から高校に上がるときは、どうでしょうか。
中学校を卒業後、浪人する。
いわゆる中学浪人、過年度生って、ほとんどいません。
不登校だった場合を除けば、中学校卒業後の進路が決まらないってことは、ほぼ起こらないわけです。
なぜ起こらないのか。
よく考えればわかることです。
想像力を働かせてみてください。
人は自分に都合のいい言葉を信用します。
「学校の先生」というのは甘い言葉は言いません。
進学後の3年間も見越して話をしていきます。
申し訳ないのですが、「塾や家庭教師の先生」と「学校の先生」では置かれた立ち位置が違います。
僕は学習塾の広告、校舎に掲示された「◯◯高校入学者◯◯名」みたいなものを目にするたび、そのことを強く感じます。
入ることに価値があるのではなく、出るときの姿にこそ価値がある。
そう考えています。
中学校を卒業後、無理な進路選択をしたばかりに勉強についていけず退学をし、新たな進路を探す子供がいます。
その生徒の新たな出願書類を作り進路指導をするのは、中学校の先生なのです。
これはあまり知られていないことですが、中学校の先生は少なくとも高校を卒業するまで、この子の「先生」なのですね。
そういう「進路指導」をしているわけです。
だからね、「塾の先生は受かるって言ってました!」と言われるたびに、「なんだかな…」と思う自分がいたりします。
「受かる」「受からない」のレベルで話をしていないわけです。
ハッピーな先生になるためのしつもん
この子の未来にコミットした仕事をしていますか?