愛の意味は愛されたからわかるんです
『言葉の力』ってなんだろう?
僕らは言葉で認識し、言葉で思考し、言葉で表現しています。
目の前にりんごがあったとします。
僕らは『りんご』という言葉を知っています。
『りんご』という言葉を知らなかったら、それは『赤い謎の球体』でしかありません。
『果物』という言葉を知っていれば、それは『赤い謎の果物』となるでしょう。
いや、『赤』という言葉も知っていなければいけませんね。
言葉があるからこそ、『りんご』を『りんご』として受け止めることができます。
これは、気持ちを表す言葉も同様です。
悲しいという気持ちは、自分の語彙の中に『悲しい』という言葉があるからこそ、理解ができます。
語彙の中に『悲しい』がない人は、人との別れに涙をこぼしても、その気持ちが『悲しみ』であることを理解できません。
「なんだか苦しい…」
この気持ちはなんだろう。とにかく苦しい、となってしまうのですね。
ですから、僕らは言葉で認識し、言葉で思考し、言葉で表現しています。
これこそが本質的な『言葉の力』ではないかと考えています。
言葉をもたなければ、僕らは認識も思考も表現もできないわけですね。
どうやって言葉を覚えたのだろう。
では、僕らはどのようにして言葉を身につけていったのでしょうか。
それは、たくさんの言葉のシャワーをかけ続けたからです。
周囲の大人、とりわけ一番身近にいるお母さんが、一生懸命話しかけたからです。
赤ちゃんは話しません。
だけど、そんな赤ちゃんに「おいしいでちゅか〜♡」「マンマ食べまちゅか〜♡」「パパでちゅよ〜♡」って話しかけ続けます。
そうやってたくさんの言葉のシャワーが人間に言葉を与えていきます。
もしも赤ちゃんにだれも話しかけなかったら。
もしもず〜っと閉じ込めておいたら。
その子は言葉をもたないわけです。
言葉がなければ認識も思考も表現もできません。
つまり、あなたが今、人間らしく生きられるのは、周囲の言葉のシャワーのおかげなのです。
共感的に聴くことで生まれるつながり
気持ちを表す言葉にも同様のことが言えます。
「悲しい」という気持ちは、「悲しい」という言葉があるからこそ感じられます。
「うれしい」という気持ちは、「うれしい」という言葉があるからこそ感じられます。
子どもがいろんな話をしてくれます。
「あっ、幼稚園でそんなことがあったの?悲しい気持ちになったねぇ」って伝えてくれるから、「悲しい」ってこんな気持ちなんだなってわかるのではないか。
僕はそんなふうに考えています。
絵本を読み聞かせたり、親子が一緒になって遊んだりするなかで、いろんな感情を表す言葉を届けていく。
そのことが子どもたちの言葉を広げていきます。
スマホやテレビに子育てを任せていては、ボキャブラリーとしての言葉は体得できても、表現が広がるとは思えません。
気持ちを表す言葉は、他者との関わりの中で生まれる言葉だからです。
人間と人間が関わることで育つのですね。
究極のところ、「愛」って言葉の意味はね、愛されたことのある人にしかわからないんです。
辞書で調べれば、載っています。
でもね、ホントの、ホントの深〜いところで「わかる」ってのは、辞書じゃ調べられないのです。
だから、愛の意味のわかる子に育てたいと思います。
なにも難しいことはありません。ただ目の前の子どもたちを愛すればいいんです。
愛される子を育てる
学校の先生時代、僕は「愛される子を育てる」が一つのテーマでした。
この世界に完璧な人間などいません。
みんなに愛され、みんなに助けてもらえる。
そんな大人になってほしいと願いました。
愛される子は、愛された経験のある子です。
愛に飢えた子は、「愛される」とは別の表現をします。
他者の気を引くために、たとえば意地悪をしてみたり。
大きな声で騒いだり、暴れたり。
いわゆる「こっち見て行動」をします。
ですから、余計に「愛されない」のです。
そんな子どもたちとたくさん出会ってきました。
「お前はお前でいいんだぜ」ってことを、幾度も幾度も伝えました。
すると、子どもたちって変わってくるんですね。
結局、愛なんです。
親や教育者が注ぎたいのは愛なんです。
愛を注げば、愛の意味を知ります。
愛の意味がわかるから、愛される子になるんです。
ハッピーな先生になるためのステップ
目の前の子どもたちを愛すること。ただそれだけ。