叱るのやめたら仕事がおもしろくなった。
忘れ物が多い子は悪い子ではありません。
教室に悪い子はいません。
ただ苦しんでいる子がいる。
ただ、それだけ。
たとえば、どうしても忘れ物をしてしまう子がいます。宿題をやってこない子がいます。
こんなとき、「学校の先生」は叱ります。
「次は忘れ物をしちゃダメよ」
「明日は宿題をやってきなさいよ」
こうやって本人の努力を促します。
これが伝統的な指導法です。
「がんばれ!」
その結果どうなるか。
次の日ぐらいは、ちゃんとやれる子がいます。
でもね、やがてまた元通り。
先生は、また叱ります。
「ほら、この前はできたでしょ?」
「やる気になればできるじゃない?」
そういうやり取りを延々と繰り返す。
僕もそんな一人でした。
「叱る」というやり方が、最良か?
叱って本人の努力を促す。
こういうやり方が、教室で伝統的に行われています。
でも、僕は気づいてしまったんです。
叱ったところで、ほとんど改善しないってことを。
たとえば、忘れ物。
叱ると、僕の担当する国語の用意は忘れません。
でも、体操服を忘れてきたり、弁当箱を忘れてきたり…。
結局、何かは忘れてくるんですね。
「今日は数学持ってきたか?」
「はい、でも国語は忘れました…」
まあ、そんなことの繰り返し。
それで、こんな指導をする。
「ちゃんと明日の用意をメモしてから帰りなさい」
「家に帰ったら、まず明日の支度をするんですよ」
ですが、うまくはいきません。
この、非常に古典的な指導方法、定番の声かけは、なぜうまくいかないのでしょうか。
「この子の幸せのために何ができるか」という問いをたてる
なぜ古典的な指導方法がうまくいかないのでしょうか。
それは、努力を促すからです。
「がんばれ!」ってね。
でも、それってさ、指導を手放す行為なの。
つまり、忘れ物をする原因は、子どもの努力不なわけだ。
だから、がんばるのは子ども。
悪いのは子ども。
でもね、最初に書いたじゃない?
教室に悪い子はいないの。
ただ苦しんでいる子がいるだけなの。
「叱る」なんてのは、つまり仕事の放棄なんです。
叱っておけば、なんとなく「学校の先生」っぽく見えますからね。
でもね、改善してないなら、そりゃ働いてないのと一緒でしょ?
「学校の先生」には、できることがいっぱいあるんですよ。
目の前にいる子どもは
「宿題を出さない子」
「忘れ物をしてくる子」
ではありません。
目の前にいる子は
「宿題が出せなくて苦しんでる子」
「忘れ物をして苦しんでいる子」
なんです。
そうやって眺めてみてください。
ただ目の前の子どもたちをハッピーにするのが、僕らのお志事です。
さあ、この子たちにしてあげられることは何だろう?
ハッピーな先生になるためのステップ
子どもたちの苦しみを、一緒になって味わう