子どもたちを輝かせるために、手放すものは何ですか?
理解の早い子が優れているの?
「こうでなければならない」を捨てたら、むちゃくちゃ楽になる。
その子のありのままを受け止めていけたら、すごく楽になるの。
「子どもはこうでなければならない」ってのは、「こんなこともできないの?」って感覚を生み出します。
「◯年生にもなって…」みたいなね。
だけどさ、成長にもその子その子の個性があるんだ。
教室では、理解するスピードの早い子が優れているって評価されるのね。
先生の授業のペースについていける子ね。
じゃあ、理解の遅い子はダメかっていうと、そういうものではないじゃない?
ゆっくり理解して、より深く学ぶ子もいるわけ。
手放すことで輝く子もいるのだよ♫
今から10年以上前、僕は「挙手をさせて当てる」ってのをやめたの。
だってあれ、理解の早い子の独壇場なんだもん。
当たる子、同じような顔ぶれじゃない?
それで、発問を出したらノートに答えを書かせるんです。
そしたらね、机の間をグルグル巡りながら、キラキラした答えを探して回るの。
そして、素敵な答えを見つけたらね、こう声をかける。
「これ、黒板に書いて♡」
そうすると、その子、一瞬戸惑うんだけど、その後、うれしそうに黒板に書きに行くの。
他の教科では活躍の場面がない子が、ものすごく活躍するの。
逆に、バンバン手を挙げてる子は、シュンとなっちゃうの。
早さは求めてないから。
その子その子の言葉の輝きを大事にしているから。
忘れもしない。
1年間を終えたときの授業のアンケート。
「国語だけは、私の考えを認めてくれました」
「黒板に書いてって言われると安心しました」
みんな違ってみんないいんだよ
教室には、いろんな子がいていいんだなぁ。
学び方にもスピードがあるのね。
早くて広い子、ゆっくり深い子。
どっちもいいよね。
その子その子の学びがあって育ちがあって、それを許容できたら、それでいいんだ。
許容!
つまり、これは大人の問題なの。
今、子どもたちに起こってる(ように見える)問題は、すべて大人が生み出してるんだよね。
だからね、そこに目を向けなきゃいけない!
「黒板は先生が書くもの」
「手を挙げて発言させるもの」
そういうものも手放して大丈夫なんだな。
まず、ちゃんと子どもにフォーカスすること。
で、この子が輝くために何ができるかな〜って考える。
そこに、ワクワクできる先生が「ハッピーな先生」なんだよね。
そう!
まず、大人なの。
ハッピーな先生になるためのしつもん
子どもたちを輝かせるために、手放すものは何ですか?
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