子育ては存在そのものを認めること
ジャッジしない生き方は心地よい。
「褒める」って、主観的な評価なの。
「良い」ことは褒めるけれど、「悪い」ことは褒めません。
そして、その「良い」「悪い」はジャッジです。
ジャッジは、感情や価値観に左右されるものなのです。
時と場合、そして相手によっても基準って変わるから。
そういうもので、「良い」「悪い」を判断していく。
それって、子どもを迷わせるんだな。
ジャッジの基準は変化していく
で、褒められれば人間はだれもがうれしい!
うれしいからまた同じことをやろうとします。
ところが、2回目はそれほど褒められません。
3回、4回と繰り返す。
するとどうでしょうか?
それは、「当たり前」へと変化します。
すると、褒められなくなります。
ジャッジが伴うものはそういうことが起きるんですね。
大切なのは結果なの?プロセスなの?
それからね、「褒める」ときは、結果を褒めるわけですね。
「点数が上がった」という結果。
「いい高校に入った」という結果。
「お手伝いをした」という結果。
子どもたちは褒められたらうれしいから、
また結果を出そうとする。
ところがね、
人間は残念ながら、
いつもいつも結果を出せるわけじゃないんです。
結果を褒められるとね、
苦しくなるんですよ。
存在そのものが素晴らしい♪
「父ちゃん、100点取ったよ」
「そうか〜。それだけの努力ができるところが素晴らしいね」
存在そのものを認めてあげることが大切なんですね。
認めるってのは、
ジャッジはいらないのです。
結果もいらないのです。
ただただ、
そこにいる「この子」の存在を認めてあげればいい。
それは、
小学生や中学生、
高校生になっても同じです。
比べなくていいんです。
その存在を認めてあげればいいんです。
その子にはその子の人生がある。
存在を認められた子は、
自分の足で自分の人生を歩むことができる
勇気のある人に育ちます。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
子どもの存在そのものを認めるために、手放すものは何ですか?
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