「いじめっ子」にも寄り添うんだよ
3つ目に僕が考えること
もしも、自分の学級で「いじめ」が起きたら。
僕が考えることは3つあります。
1つは、学級にもう一度「みんな違ってみんないい」という空気をつくること。
もう一度、学級経営の基本に立ち返ります。
2つ目に、指導の効果が表れるまできちんと被害者を守る体制を整えます。
そして、3つ目。
これが一番大切なことです。
僕は、加害者の心に寄り添うことを考えます。
罰を与えるのではなく、やはり寄り添います。
今日は、そのことについて詳しく書きたいと思います。
「いじめ」が起きたとき、見つめること。
教室に「いじめる子」と「いじめられる子」がいるという見方を替えてみます。
「いじめる子」と「いじめない子」がいます。
「いじめられる子」と「いじめられない子」がいます。
そういう見方で教室を眺めたら、できることは変わります。
「いじめる子」には、いじめる子の論理があります。
「いじめ」が悪いことであることはみんなわかっています。
知っています。
それでもやってしまうのは、なぜなのでしょうか。
人間はだれもが自分の行動を正しいと考えて選択しています。
なぜ、この子は「いじめ」をしてしまうのか。
なぜ、その行動を選んでしまうのか。
そこに、寄り添う必要があると思うのです。
ですから、被害者は守り、加害者は癒します。
そういうことを考えます。
いろんな考え方がありますね。
すべての人が僕の考え方に共感するとは思いません。
「厳しい罰を与えればいいんだ!」という方もいらっしゃるでしょう。
その考え方と戦おうとは思いません。
でもね、僕はその対応、厳しい指導や罰を与えることが、
罰を与えることで、その行為が目に見えない形に変わることを恐れます。
やり方を変えたり、ターゲットを変えたりしたらね、何の解決にもならないんじゃないかなって、思うのです。
子どもたちの世界は今、大人には見えない方向にどんどん拡がっています。
目に見える形で表現されているときに、丁寧に寄り添っていくのです。
目に見えない形で表現するようになったときには、指導は困難です。
総力をあげて考えましょうよ
私たちは教育者です。
力で持って制することは、教育者の姿ではないと考えます。
加害者には加害者なりの論理があり、そこに寄り添いながら、
いじめをする子、いじめをしない子がいます。
なぜこの子にいじめをさせてしまったのか、
いじめをやめさせるために話をするのではなく、
受け入れ、認め、許し、愛すること。
これがスタートラインです。
この子は悪い子ではありません。
ただ、許されない行動がそこにあったということなのです。
なぜ、この子にそれをさせてしまったのか、なぜこの子はそのような行動をしてしまったのか。
そのことに気づいてあげるために寄り添います。
一つの考え方として受け止めていただければ幸いです。
もしもいじめが起きてしまったら、
ジャッジすることなく、事実を見つめていくことが大切ですね。
そして、その事実に対して、丁寧に対応していきます。
こういったことはケースバイケースです。
100の事例があれば、100通りの解決方法かあると思います。
学校全体で取り組んでいくことが大切ですね。
総力をあげて取り組むべき課題であると思います。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
すべての子どもに寄り添ったとき、どんな教室ができるだろう?
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