教えないよ、学ばせるんだ。
生徒指導担当はつらいよ♪
学校には校務分掌と呼ばれる、それぞれの先生に割り当てられたお仕事があります。
今は学年主任で進路指導主事の僕ですが、これまではずっと生徒指導ばかりをやってきました。
本当は総合学習とか生徒会とか特別活動とか、子どもたちの活動に関わる楽しい行事の企画がしたかったのに。
なぜか、毎年生徒指導担当です。
一番寂しいのは、学校行事。
子どもたちにとってもそうですが、先生たちにとっても一大イベントです。
それなのに、いつも蚊帳の外です。
会場外警備…。
自分のクラスの合唱を、体育館の扉をちょこっと開けて覗く悲しさ。
体育祭の大歓声を、歩道で聞く寂しさ。
卒業式はコートを着て、正門をフラフラ。
あとで、「いい式だったねぇ」なんて聞く。
うん、寂しい…。
もうね、なにが悲しいって、行事後の打ち上げで飲みに行ったって、話についていけないの。
すごくつまらない。
しかも、学校行事の担当って、打ち上げ後、やっぱり労われるじゃないですか。
生徒指導担当には、そんな打ち上げはございません。
いや、寂しいな、ホント。
おっと、今日は愚痴っぽい投稿ですね。
でもね、悪いことばかりじゃないんです。
先生がいなくても…
僕は授業中でもよく呼び出されました。
「今、こういう状況なのだけど、どうしますか?」
指示を仰ぎにいろんな先生がいらっしゃる。
当然、授業を途中でストップすることになります。
場合によっては、ちょっと自習にして対応しなきゃいけないこともあります。
「今いいところなのに!」ってタイミングでね、ストップする。
でも、そこは対応せざるを得ない。
それには悩みました。
そこで考えたんです。
「先生がいなくても、授業ができる方法はないだろうか?」
こんなことを考える必要のある人は少ない。
でも、僕には必要でした。
ところが、人間の脳はおもしろいもので、問いを立てると自動で検索をかけてくれます。
そこから生まれたのが模造紙、プロッキー、付箋紙を駆使した授業です。
黒板を子どもたちに解放した授業です。
グループワークを中心にした課題解決型の授業です。
いずれも、一度子どもたちが動き出してさえしまえば、僕はやることがありません。
教えない先生になってみる
僕は教えません。
教えない先生です。
求められていないのに、アドバイスなど送りません。
ですから、そんな授業に入るT.T.の先生は、本当に困った顔をされます。
「先生は教える人」という常識があるのですね。
なにせメインで授業をする先生が、課題を伝えたら、ぼ〜っと立っているだけ。
たぶん、サボっているように見えるだろうなって思います。
でね、T.T.の先生がアドバイスする。
「あぁ、教えたいよね、先生だもん」と思う。
でね、子どもたちの顔が曇る。
子どもたちが主体的に学び出したとき、先生は必要なくなります。
たとえばフロー状態で遊んでいるとき、大人が「もっとこうするといいよ」とか「もっとあ〜しなさい」とか言われたら、興醒めでしょ?
だから、教えません。
尋ねられたことだけ答えます。
では、先生がいない状態で子どもたちが学んでいくためには、どんなやり方をすればいいでしょうか?
これは、サボるための質問ではありません。
こういうことを考えると、アクティブラーニングって何だろう?ってことが見えてくると思うのです。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
先生がいなくてもいいようにするためにできることは何ですか?
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