手は出さないで貸してやるもの
父ちゃん、事件だ!
我が家のガレージには2つのツバメの巣があります。
なにせツバメの糞害で2台停められるガレージの片方は停められません。
糞害に憤慨です!
笑ってください。
申し訳ないのですが、シーズンが終わると破壊します。
ところがね、よほど居心地がいいのか、毎年巣作りを始めてしまうのです。
ま〜、仕方ないか…と思って壊さずにいたら、今年は二つ…。
もう♡
で、事件は起こります。
仕事帰り、駅からの家までトボトボ歩いていると、困った顔をした長男くん。
思わず「どうしたの?」と声をかけます。
ビニール手袋をした長男。
「父ちゃんピンチだ!ツバメの子が落下した」
よく見ると、手の中にツバメのヒナがおりました。
仕事帰りです。
今日はこの日は暑かった。
さっさと冷やしたビールで乾杯と行きたいところです。
正直言えば、ちょっと面倒くさかった。
でもね、我が子の困った顔を見たら、もう動くしかない。
選択肢を「この子を助ける」しかないわけで。
「よし!グーグル先生に聞いてみようか!」
そう声をかけると『ツバメの子 落下』で検索。
長男「そんなこと検索できるの?」
僕 「おおっ!いっぱいあるぞ!」
長男「よくあることなんだねぇ」
僕 「どうやら巣に戻してもいいらしいぞ!」
息子「でも、父ちゃん。巣が高すぎて届かないよ」
僕 「よし!父ちゃんに任せろ」
我が家のキャンピングカーはトラックの上にキャンパーという「寝る場所」を載せています。
そこで、車体とキャンパーをつなぐターンバックルをすべてはずして分離作業開始。
作業すること30分。
ガレージに停めてある妻の愛車を移動。
そこにトラックを突っ込み、荷台に脚立を載せました。
僕 「おっ!巣に届くぞ」
息子「これはフェイスブックにあげるチャンスだね」
僕 「じゃあ、とりあえず写真を撮るか」
▽▽▽その写真がコチラ▽▽▽
巣にツバメの子を戻すと、親鳥たちもうれしそうに我が家の周りを飛び交っておりました。
あとは、ここまでの作業の逆をたどって現状復帰して終わりです。
帰宅してから1時間半。
ようやくたどり着いた夕食の時間でした。
ついつい手を出してはいませんか?
ついつい、僕らは子どものやることに手を出してしまいます。
ついつい、僕らは子どものやることに口を挟んでしまいます。
なぜって、豊富な人生経験がそうさせるのですね。
「こうした方がうまくいく」ってことを、大人は知っています。
これまでの経験から学んでいます。
ですから、未来を察することができます。
「もっとこうしたら?」
「もっとあ〜したら?」
と、ついつい言ってしまう。
「ほら、この方がいいでしょ?」
と、ついつい手を出してしまう。
そんなところが、僕らにはあります。
こういうのって、子どもの貴重な経験を奪っているんですよね。
「失敗する」って貴重な経験。
「成功から学ぶこと」よりも「失敗から学ぶこと」の方が断然多い。
だからね、どんどん失敗させるといいの。
それなのに、失敗させないように、失敗させないように、先回り先回りをしてしまう。
ま〜、それが親というもので。
僕もバッチリ先回りしてしまいます。
反省、反省の毎日です。
大人が口を挟み、手を出す。
それは、愛なのでしょうか。
本当に愛なのでしょうか。
そこ、いつも自分に問いかけています。
手は貸してやるもの
本当に困ったときに、手を貸してあげるといい。
いつでもその準備をしておくのがいいのだと思います。
落ちたツバメの子。
「ほっておきなさい」とも言えました。
「猫に食べられないところに置いておきなさい」とも言えました。
「そんなもの、触るんじゃないの」とも言えました。
行政に連絡をして、引き取ってもらうという選択肢もあるようです。(Google先生がおっしゃっておりました。)
でもね、今、この子は本当に困っている。
このツバメの子を救いたいと心から願っている。
そんなとき、「この子のために」と突き動かされるのが親心。
損得もGIVE&TAKEもなく、ただただ突き動かされる。
親とは、そういうものだと思います。
手は出すものではありません。
手は貸すものです。
失敗を許容し、必要なときには貸してあげるもの。
そんなぐらいでちょうど良いのだと思います。
ハッピーな子どもを育てる大人になるためのしつもん
最近、手を貸したのは?最近、手を出したのは?
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