過保護と過干渉はどう違うの?
児童精神科医の佐々木正美先生がおっしゃいました。
「過保護はいいけれど、過干渉はよくない」
僕はこの言葉がとっても腹に落ちるのです。
なるほどなぁ〜とうなづくのです。
「こうでなければならない」
そんな「恐れの選択」が多けれぼ多いほど、子どもに干渉する場面は増えていきます。
「あーしなさい」
「こーしなさい」
先回りして、先回りして。
「べき」「べき」「べき」
「こうあるべき」の津波が押し寄せます。
でもね、でもね。
「育てる」よりも「育む」だからさ。
受け止めるだけでいいんだよ、ホントは。
その子にはその子の人生があって。
選ぶのは、その子自身なの。
あたたかいまなざしで、子どもを眺めていればいい。
それが信じて手放すということ。
でもね、間違えないで。
放任とは違うんだ。
あたたかいまなざし。
これは大切。
それからね、苦しいとき悲しいとき、そっと抱きしめてあげられる距離にいること。
これが大切。
過干渉より過保護の方が、とってもエネルギーがいるの。
でもさ、こんな声を耳にします。
「過保護はよくない!」って声。
あのね、「よくない」って感じてる「過保護」はね、それ「過干渉」だから。
先回りして、あれこれやっちゃう。
そんな親を見て、「あれは過保護だよね〜」なんて言う。
いやいや。
違うよ。
それは「過干渉」です。
手を出す、口を出すって時点で干渉なんだよ。
子どもの行動に触れるのは干渉でしょ?
過保護ってのは、まず手放すの。
で、どっしり構えてあたたかいまなざしで見つめるの。
いつでも準備しておくの。
「話を聞いて」って言われたら、もういくらでも話を聞いてあげる。
「絵本を読んで」って言われたら、もういくらでも読んであげる。
子どもの内側を満たしていく喜び。
子どもと深く深くつながっていく喜び。
そういうものを味わいながら、美しく生きる。
子育てに「美しさ」が内包されている感じ。
そういう「在り方」が過保護なのさ。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
子育ては「正しさ」よりも「美しさ」を問うといい。