子どもたちは見てないようで見てるのだ♪
「おいっ!
お前、オセーよ(遅いよ)」
自転車に乗る僕の背後から罵声が聞こえてきました。
ちょうど僕の前を小学生の男の子が自転車に乗っていたのですね。
ノロノロと、ゆっくり走っていました。
細い路地でしたから、僕も追い抜くこともできず。
後につづいて、ゆっくり走っていました。
すると、そんな罵声が飛んできたのです。
声の主は、お母さん。
僕の前を走る男の子にぶつけられた言葉でした。
ずいぶんな乱暴な言葉遣い。
まさに、言葉をぶつけるという感じです。
それで、ハッとさせられたのですね。
「自分の言葉は、
どうだろうか?」
子どもたちに言いますね。
「言葉遣いに気をつけなさい」と。
ところが、どうでしょうか。
いざ、自分の言葉遣いは美しいだろうかと我が身を省みる。
幼稚園や学校に通い出すと、途端に言葉遣いが悪くなりますね。
どこで覚えてきたのだろう?と思うのだけれど。
僕らが家庭で用いている言葉を大人の使う言葉と理解している。
それを子どもたちは、子どもたちにとってのパブリックスペースで用いている。
そうこうしているうちに、家でも使うようになる。
それだけのことかもしれません。
だからね、
自分の行いは美しいだろうか?
と我が身を省みる時間、必要なんだ。
子どもたちは、見てないようで見てるのですから。
鏡を見るか、体重計に乗るかしないと、なかなか太ってきたことに気がつきません。
それと同じなんです。
自分の行い、振る舞いなんて。
自分じゃ気づけません。
だからね、我が身を映す鏡が必要だと思う。
路上で叱りつけているお父さんを見るたび。
ずいぶんな叱り方をしている先生を見るたび。
自分はどうだろうかと省みる。
子育てに正解はないよ。
でもね、これだけはやっちゃダメってことはあると思うんだ。
それに気づかせてくれるのは、自分以外のだれかの姿だったりするの。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
だれかの姿を鏡にして、自分の子育てを眺めてみる。