下の子が上の子の犠牲になってます。
メルマガ読者さんからのメッセージ
私はずっと子どもとの関係に悩んできました。
キッズインストラクターの資格も持っています。
結局、改善されてないということは、私が変われてないんですよね。
それに気がつけなくて、先週、虚血性腸炎で入院してました。
退院後、1週間、身内はみんな動かないようにと、家にきて、
下の子が5年生なのですが、
退院後、夜ご飯の洗い物を交代でお願いしていて、下の子はお姉ちゃんのお弁当箱まで全部洗ってくれていました。
上の子にもお願いしたのですが、
下の子はお姉ちゃんが洗わないと、
私は大丈夫だよっと下の子を止めたのですが、上の子の行動で、いつも下の子が犠牲になっています。
私が悩んでいることは、
特に私に対しての言葉が酷くて、ずっと悩んでいます。
もし、病後、そんな状況だとしたら、
下の子は本当に上の子の犠牲なのだろうか?
偉いじゃん!
自分の弁当作って、洗濯物やって、夕飯も作って。
いい子じゃん。
中1のお姉ちゃんも、小5の妹もめっちゃすごいよね。
んで、思うのね。
下の子は犠牲なのかな〜?って。
「暇な人がやればいい」
お姉ちゃん、忙しかったのかもなぁ。
中学生ともなると、勉強量も増えるし、学校行事の手伝いとかもあるしなぁ。
わかんないよね、そこは。
「暇な人がやればいい」
という言葉の奥には、
「私は忙しいの」
が隠れているわけで。
その「忙しさ」なんてものは、
思いっきり主観だから、
他者にジャッジのしようがないし。
まず、あれだね。
「べき」のブロックを外すといいよね。
お姉ちゃんなんだから、家事も手伝うべきだ〜〜!みたいなのさ。
いいじゃん、分担すれば。
妹ちゃんは、お母さんに負担をかけたくなくて働こうとしたんだよね。
ムッチャ愛じゃん。
んで、それを選んだのは妹ちゃんなわけね。
お姉ちゃんがやらせたんじゃないんだよね。
彼女がそれを選んだの。
だからさ〜、もう「ありがとう」しかないよね。
んで、お姉ちゃんも本人のできる範囲で精一杯やってくれてるわけよ。
もう、そしたらさ、「ありがとう」しかないよね。
「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」ね。
それは犠牲じゃないんだよね。
犠牲だと思うと「ごめんね」だけど、本人がそれをやりたくてやってるんだったらさ、もうそれは善意なわけ。
そしたら、「ありがとう」だよね。
姉妹揃って最高だね。
ムッチャいい娘さんたちだね。
姉とか妹とか関係ないのね。
中学生だろうが、小学生だろうが関係ないのね。
その枠を作っているのは、自分自身なわけさ。
お姉ちゃんの考え方が気になるかもしれないけどさ、お姉ちゃんはたぶんお母さんの考え方が気になってると思うよ。
人と人なんて、そんなもんさ。
ってことを考えると、お母さんへの言葉が悪いのも仕方がないよなって思うよ。
お姉ちゃんもがんばってるって。
そこ、認めてあげてね。
すごいよ、ホント。
ウチの子どもたち、そんなことやらないもん(笑)
どんな言葉がけをしますか?
それでさ、「どんな言葉がけをしますか?」って言葉の裏にはさ、子どもを意図通りにするにはどうしたらいいですか?ってエネルギーを感じるのね。
考え方を改めさせたい。
言葉遣いを改めさせたい。
そんなエネルギーね。
でもさ、意図した通りに子どもは育たないのよ。
あと、人間ってさ、自分を変えようとしてくる存在を疎ましく感じるものなんだよね。
「できていないところ」にフォーカスするのではなく、この子の「がんばっているところ」にフォーカスしてみよう。
そして、それを言葉で伝えよう。
感謝も一緒に伝えよう。
結局、変えられるのは自分だけなのね。
で、自分が変わると子どもが変わるのね。
もうね、お姉ちゃんに伝える言葉は感謝しかないよ。
「ありがとう」しか見つからないな。
アドバイスも指示もリクエストも、何にもいらないね。
感謝だけ。
「ありがとう」だけ。
心からね、感謝が湧くまで、子どもを見つめてみよう。
それで十分だよ。