子どもをガッチガチに管理する方が簡単だ!
ピアノ教室の先生からのメッセージ
今日のメルマガのピアノの先生。
私も自宅でピアノを教えていますので、心がギュッと痛みました。
私は、小さい頃、私自身は叩かれなかったけれど、叩かれて泣いてるおねえさんたちを、
そして、「私は絶対、叩く先生にはならない!」と思って、現在までレッスンしています。
叩かなくても、言葉の暴力もありますよね。
子どものやる気をペシャンコにする先生も。
相手の反応をよくみて、想像して、未来ある大切な子どもたちに、
学校の先生からのメッセージ
ウチの学校で、ムチばかりで崩壊している学級があります。
「担任以外の先生も行って、良くして行きましょう」
私は、笑顔で良い所を見つける関わり方をするので、
それは、先生方の指導が統一していた方が、
今私がしていることは、
夏休みに校内研修で配慮を要する児童の対応について学んだのに、
とても残念です。
力づくの指導はカンタンなのだ
昨日、「愛のムチ」の時代は終わった、という記事を書きました。
「愛のムチ」の時代は終わった
それでね、先日幼稚園教諭の先生と食事をしたんです。
その先生、以前勤めていた幼稚園では、子どもたちと話し合いながら、運動会のお遊戯の内容を考えていたんだそうです。
「どんな音楽でやりたい?」
「どんな振り付けにする?」
「どんな衣装にする?」
そうやって子どもたちと話し合って作り上げていたんだそうです。
ところが、今度の職場は『管理教育のメッカ』と呼ばれる市の幼稚園です。
事前に企画を先生たちで考え、園長の決裁をとり、その企画を子どもたちに教え込むんですね。
「あーしなさい」
「こーしなさい」って。
それで二つのやり方を比べてみて、感じたこと。
それは「大人の意図した通りに教え込んだ方が楽」ということです。
完成したお遊戯のクオリティーと職員のエネルギーの効率だけを見た場合、そちらの方が圧倒的に楽なんだそうです。
でもね、思う。
なんだってそうだけど、大切なのはプロセスの質なわけです。
完成した姿なんて、ショボくたっていいんですよ。
そこに至るまでのプロセスでどれだけ子どもたちが成長できたかが大切でしょ?
僕はその質にこだわる人間を教育者だと思っているわけ。
プロセスの質を上げるために、もっとも要らないもの。
それが「愛のムチ」なんですよね。
ハッピーな先生になるためのしつもん
「愛のムチ」を手放したとき、どんな指導ができますか?