「絶対」を口にしたら、危ないゼ!
目で見て、耳で聴き、鼻で嗅ぎ、肌で触れ、口で味わう。
世界を心で味わいます。
同じ世界で生きていながら、世の中の味わい方はさまざまです。
これは、とても不思議なことです。
同じ教室にいて同じものを見ていても、認識しているものが違うのですね。
同じ出来事を見ている先生だってね「じゃれてるだけ」という人もいれば、「あれはいじめだ」という人もいます。
これまで培ってきた価値観、既成概念といった思考が事実の認識に誤差を生み出します。
みんな、見たいように世の中を見ているんですね。
だから、ある人は人生とは苦しいものだと言い、ある人は人生とは楽しいものだと言う。
すべての出来事に良いも悪いもないんだけど。
脳みそはそうやってジャッジを繰り返す。
事実とジャッジは異なります。
だから、職員室の会話で「絶対」なんて言葉が聞こえてきたら、要注意なのだ。
「あの親は絶対こうだよね」
「あの子は絶対こうだよね」
「絶対」がついたら、ジャッジです。
絶対ジャッジです!
そんなときこそ、「本当に?」と問いかける。
ちなみに僕は性格が悪いので、「絶対」と言う人には「本当に?」「根拠は?」と尋問します。
「しつもん」ではなく「尋問」です。
性格が悪いですから。
ピントを変える。
角度を変える。
立ち位置を変える。
そうやって見方を変えたとき、見える世界も変わります。
僕らは自分の価値観というフィルターで物事を見ています。
それは、これまでに作り上げてきたフィルターです。
学校の先生は、だんだんと「学校の先生」のフィルターで子どもや保護者を眺めてしまうところがあります。
ですから、「学校の常識は世間の非常識」なんてことも多くあるわけです。
どうでもいいことへのこだわり、ありませんか?
前髪の長さとか、髪ゴムの色とか。
昭和ですか?
もうね、そんなことはどうでもいいんです。
でも、学校の先生がこんなこと言うなんて「許せない!」って先生もいると思うんだよね。
そうそう、絶対おかしいよ!って思ってない?
その常識、本当に?
で、ある先生が教えてくださったのですね。
「そういう細かいことを手を抜くと学校が荒れていくんだよ」
そうやって信じてる人、本当に多い。
昭和か?
僕は知っています。
そういうくだらないことを一生懸命指導していると、だんだん子どもの心が離れていきます。
そして、あるとき崩壊が始まります。
水は、沸騰するまで温度が上がっていることを教えてはくれません。
あるとき、突然吹きこぼれる熱湯のように。
水面下で心は離れ、あるとき噴出するのです。
荒れていくのなんて一瞬です。
でもそれは、重箱の隅をつつくような細かいこと指導することで防げるわけではありません。
子どもの心をしっかりつかんでおくことで防げるのです。
学校の先生が「絶対」と思っていること。
一度疑ってかかってください。
なぜ、こんなことを書くのか。
ことごとく逆をやってみたら、うまくいった。
僕の一次情報です。
ハッピーな先生になるためのしつもん
「絶対」って言ってるけどさ、本当に?