どうしたら生き生きと学ぶのかな?
勉強しない大人は多くいます。
これは不思議なことです。
ビジネスのこと、投資のこと、人生のこと。
学べば学ぶほど、豊かに生きられる。
学ぶことは、人生に彩りを加えてくれます。
学ぶことの価値を知っているか、知らないか。
そういうこともあるのかもしれません。
幸いにも、「勉強しなさい」と叱られながら、嫌々勉強してきた経験が僕にはまったくありません。
好きなことを好きなだけやってきました。
興味の湧いた教科だけを勉強してきました。
だからかな。
今も、学ぶ意欲にあふれているのは。
周囲の大人も、よくよく学んでいる人というのは、総じて学ぶことの楽しさを知っています。
だれかに評価されたくて学んでいるわけではありません。
褒められたくて学んでいるわけでも、だれかを出し抜こうとして学んでいるわけでもなく。
純粋に「人生をよりよくしたい」。
そんな思いを感じます。
さてさて。
子どもたちが生き生きと学ぶ瞬間があります。
目の前に困難な課題があっても立ち向かう。
何のためにやるのか、明確で。
どのようにやるのか、明確で。
そんなときは、子どもたちは生き生きと取り組みます。
学ぶことは、どこまでも能動的な活動であり、自己完結のストーリーです。
「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら課題を解決する」
そういうものです。
そして、そのメカニズムがわかってくると、授業づくりはとても簡単になります。
さて。
だから、「勉強しなさい、勉強しなさい」ということに、本当は価値がないのだ。
「点数が悪かったら、塾に入れるよ」なんて言う必要はないのだ。
問題の本質はそこではない。
小さいころから知的好奇心を育むことをしてきただろうか。
能動的な学びをしてきただろうか。
体験的な学びをさせてきただろうか。
学びとは何も、テストの点数をあげることではないんです。
「あの森の向こうには何があるのだろう?」と知的好奇心を満たすために野山を駆け回る。
それだって、素晴らしい学びなの。
絵本の世界に浸り、新しい言葉と出会う。
「この言葉って、どういう意味?」
「これはね…」
こんなやりとりだって、なんとも愛おしい学びなのです。
文明の利器は、僕らに大量の情報を届けてくれます。
それは、いわば受動的なインプットです。
テレビやテレビゲーム、スマホといったコンテンツに育児をさせてこなかっただろうか。
そう、自問自答してみます。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
知的好奇心を育てるのが先。ワクワクさせてる?