叱っても、人は変わらないのです…。
叱るべきときに叱る。
これ、いいと思うんだ。
ホントに目の前の子のことを思って叱るとき。
たとえば命の危険があるとき。
幹線道路に飛び出そうとした。
そんなときは怒鳴ったっていいと思うの。
たとえば、こんなときはどう?
「私なんて生まれてこなければ良かったんだ」
そんなことを言うとき。
「俺はお前のことが大好きだ!そんなこと言うな!」
そうやって怒鳴ったっていいんだよ。
自分のため、ではなく。
目の前の子のためだけに叱るなら、僕は叱ったっていいと思うんだ。
「ためだけに」
うん!これ、ポイントだな。
でもね、多くの場合はそうじゃない。
自分の中の「こうあるべき」で叱ってしまう。
目の前の子どものためではなく、どこかで「自分のため」に叱ってしまうんだな。
自分を満たすために子どもを叱ってしまう。
周りの人に後ろ指を指されないように叱ってしまう。
そんなところが心の奥底にある。
それは「こうあるべき」から叱ってしまうときなんだ。
家に帰ってきてから、ずーっとゲームばかりしている。
「まず宿題をすべき」だから叱る。
玄関に服を脱ぎっぱなし。
「服はハンガーにかけるべき」だから叱る。
習い事の練習をしない。
「練習をすべき」だから叱る。
そんなときは対話が必要。
本当は対話が必要。
でもね、ついつい感情的になってしまう。
その気持ち、わかるよ。
だって人間だもの。
だけど、叱ったって変わらないんだ。
もう3000人の子どもたちと出会ってきた結論。
「叱っても変わらない」
だから、
「なんで宿題やってないの!」
「なんで服を掛けないの!」
「なんで練習しないの!」
なんてね、怒鳴らないで。
叱りたくなったときは、一つ深呼吸して自問自答。
「どうして叱りたいのだろう?」
その答えが「こうあるべき」から生まれたならば、立ち止まってみるといいよ。
変えられるのは自分だけだから。
寄り添うことでしか、人は変われないんだな。
子どもとつながる問いかけの魔法
「こうあるべき」で叱ると、つながりは途切れる。