正解を求めると、正解を探す子どもに育ってしまうよ。
正解を教える。
正解を求める。
すると、正解を探す子どもが育ってしまう。
「褒める」のも「叱る」のもよくないよね…みたいな話を、よく耳にします。
僕はここにつながっていると思っていてね。
褒められるために、叱られないために、正解を探してしまう子は多いのです。
自分で考えたり、自分の心がどこに向かっているのか内観したりはしない。
それよりも、この場面では何が正解かを探してしまう。
すると、マニュアルに添って行動する人間が育つんです。
教えられなければ動けない。
指示されなければ動けない。
そんな人間が育ってしまうのです。
ある日のカフェで
先日、娘と二人でカフェに行ったんです。
ウチの子、小4です。
どう見たって親子です。
「いや、別々でお願いします」とは言わないでしょう。
考えていない。
決められたルーティーンに従って行動しているだけ。
まるで、まるで。
製造工場で量産されたロボットみたいだなって思いました。
また、別の日。
今度は一人でカフェに行ったんです。
でね、注文したんです。
「すいません!コーヒー、ホットで」
そしたら、言うんですね。
「コーヒー、ホットですね。
ご注文を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
ん?
確認するの?
「コーヒー、ホットお一つで?」
…んっ?
そうだね…。
その通りだよ…。
こんな話は枚挙に暇がありません。
なぜ問いかけることが大切なのか
「どうしたらいいですか?」
そう尋ねられるたびに、
「どうしたらいいと思いますか?」
と尋ね返してきました。
答えが出ない子には
「じゃあ、今のあなたにできることは何ですか?」
と問いかけてきました。
自分自身と対話する時間を創造してあげるんです。
人間が人間らしく生きるためには、自分自身と対話することが大切です。
育てているのは、工業製品のロボットじゃないんです。
正解を教えない。
正解を求めない。
その子の中に答えはあって、その答えこそが正解だから。
問いかけて問いかけて、内側にある答えを引き出すお手伝いをするんです。
時間はかかるのだけれど、生きる力を育むってそういうことだと思うのです。
効率は悪いですよ。
だって、ここは生産工場じゃないのですから。
人が人を育てるってそういうことでしょ?
子どもとつながる問いかけの魔法
この子の内側にある答えを引き出すために問いかける。