「くだらねえこと」は「くだらねえ」って言ってもいいんだぜ。
教室をつまらなくしてるヤツはだれだ?
自分の人生を生きる。
言葉にすれば簡単だけど、人生は「やらなければならないこと」にあふれている。
義務感からやること。
常識的にやらねばならぬこと。
僕も、そんな世界で生きてきた一人だ。
いや、もしかしたら、今だってそんな世界の住人の一人なのかもしれない。
学校なんて、もう本当にそんな世界だよね。
「こうでなければならない」を教える場所。
「やるべきこと」をやれるようにする場所。
はっきり言っておこうか?
個に応じた指導なんて嘘っぱちだよ。
とりあえず、グループ分けしておけば、「個に応じた」つもりになっている。
そんな先生、山ほどいるよ。
個性の尊重?
本当にそう思ってる?
自己主張できる子どもを見て、「うぜ〜!」って思ってない?
僕は思ったよ。
自分の考えを主張されると困るもん。
「先生、なんでこんなルールがあるんですか?」
そんな質問をされると困るよね。
「ルールだから」としか答えようのないものが山ほどある。
いわゆる「ダメなもんはダメ」という理論だ。
そんなわけで、学校には「こうでなければならない」がたくさん存在する。
まあ、そうやって優秀な従業員を育てている。
国家の繁栄のため、企業が潤うため、優秀な「駒」が必要なのだ。
そういうことが苦しくて仕方がなかった。
指導なんてしたくないのに、指導しなければならない。
それが苦しくて仕方がなかった。
ツッパって行こうぜ
くだらねえルールがあって、そのルールを「くだらねえ」と言うと、「何、あの人?」と言われる。
そういう人間なのに、生徒指導の担当が回ってくる。
ルールを作る側の人間になる。
おもしろいもので、僕はどんどんルールをなくそうとする。
できるだけ削っていきたかった。
だが先生ってのは、おもしろいもので。
「こんなときはどうなの?」
「あんなときはどうなの?」
ルールを作ることが好きだ。
その結果、ルールがどんどん増えていくのだ。
「ルールを作るってことは、それを守らせることだよ。
ルールが増えるほど、指導することが増えるんだよ」
そう訴えてきた。
究極のところ、ルールがなくなれば叱る必要なんてゼロになるのだ。
ある学校に赴任したとき、ビックリした。
「これがウチのルールです」
そう言って渡された生徒指導のルールは10ページ以上あった。
「なんすか?これ」
「ウチの独自のルールだから。覚えてもらわないと足並みが揃わないから」
「へ〜っ…」って言いながら、ソッコーでシュレッダーかけてやった。
まあ、もちろんガタガタ言ってくる人もいるわね。
「そのルール、子どものためになってね〜から」
「それ、先生たちにとってのルールで、子どものためのルールじゃないんだわ」
叩かれようが、文句言われようが、譲れないものは譲れない。
そうやって本質を生きてると、子どもたちは信頼する。
「ルールを甘くすればいい」って話をしてるんじゃないの。
言っとくけど、甘いとか優しいとかは、あまり子どもたちの関係性に影響はない。
そうじゃないの。
「この人、本物?」ってことを子どもたちは敏感に感じとってるわけ。
くだらねえルール見て、「くだらねえ」って言える本物の教育者が増えてほしいよね。
「どこ向いて教育やってんの?」ってことになっちゃうからさ。
ハッピーな先生になるためのしつもん
ねえ、それ、本気で、そう思ってんの?