結局、親子の対話だよねぇ…
なぜ問いかけるのか。
「問い」を立てれば、「答え」は必ず見つかります。
だから、「良いしつもん」が、とっても大事。
おもしろいものです。
困ったことが起きたとき。
改善すべき課題が見つかったとき。
ただただ自分に問いかける。
すると、自然と「答え」が湧いてくるんです。
あとは、それを素直に受け止めるだけ。
正解、不正解の世界から一歩抜け出してみよう
ところが、です。
この「素直に受け止める」ってのが難しいようで。
「正解か、不正解か」という視点から一歩抜け出す必要があります。
「こんなこと言ったら、周囲の人に嫌われるんじゃないか?」
「この答えは、間違いなんじゃないか?」
そんな視点で生きていると、答えを素直に受け止めることができません。
たとえば、浮かんできた答えが「学校に行かない」だったとして、でも「それはよくないことだ!」ってジャッジしたら、素直に受け取れません。
「そっか〜、今の自分の気持ちは、学校に行きたくないんだな…」って素直に受け止めることができるか。
それとも
「そんなことは言っちゃダメ。その答えは間違い!」って、自分の答えにフタをするか。
「正解or不正解」から抜け出す。
浮かんできた答えは「ぜんぶ正解」。
そんな素直さが必要なんです。
早く家を出たい子ども
ある女の子との会話がおもしろかったなぁ。
生徒:「私、普通の高校でいいんですよね。勉強嫌いだし」
僕 :「そうか。やりたいこととか、ある?」
生徒:「う〜ん、早く結婚したいかなぁ…」
僕 :「へぇ〜…そうなんだね」
生徒:「うん、早くお母さんになってみたいんだよね」
僕 :「なるほど、いいね。じゃあ、そのために何から始めてみようか?」
生徒:「う〜ん、勉強かな…」
僕 :「えっ?勉強なの?」
生徒:「だって、親がうるさいし」
僕 :「そうなんだ…」
生徒:「うん、だから、早く家を出たいの」
僕 :「なるほどなぁ…」
へえ…、それでね、「しつもん」を重ねたんです。
「お母さんがうるさい」
そんな課題があるとして、「じゃあ、できることは何だろう?」と。
で、その子が言うわけですよ。
「先生、それ以上しつもんしないで」って。
「考えるのが苦しい。
勉強してれば、お母さんは満足するから。
もう面倒くさいから、それでいいの。
しつもんされると、やりたいことが浮かんでくる。
それが苦しいの。
考えたくない。
だから、しつもんしないで」
すれ違う二人
「本当はどうしたいのか」を受け取る、受け入れる。
それはもう、ただの「素直さ」。
でもね、自分の人生を生きていないと、なかなかそれを受け入れられないんです。
その子はね、「お母さんの描いた人生」の上を精一杯生きていたんだな。
でもね、その子のお母さんとお話したの。
そしたらね、お母さんはそんなことは望んでなかった。
ただ、経済状況やお母さんの生い立ちから、少し子どもにプレッシャーを与えていたのかもしれない。
思いがすれ違っていた。
お母さんは、子どもにもっとやりたいことをやってもらいたい。
そのためには、いい高校に行った方がいいだろうと思っていた。
自分は思うような学校に行けなかった。
育った家庭にお金がなかった。
兄弟も多かった。
だから、娘には同じ思いをさせたくない。
ただ、それだけだった。
で、子どももやりたいことをやりたいと思っていた。
でも、お母さんの思いにも答えたいと思っていた。
だから、やりたくないけど、勉強していた。
だれも悪くない。
ただすれ違っているだけだった。
もっと問いかけて。
じっくり受け止めてあげて。
そんな親子の時間が取れたなら、きっとそんなすれ違いは起こらなかったのかもしれない。
だからね、問いかけるとつながれるってのは、そういうことなのさ。
子どもとつながる問いかけの魔法
どんな答えも正解という気持ちで問いかけてみよう。