なぜこの子は話をしてくれないのか。
なぜ、この子は話をしないのか。
「子どもが学校の話をしてくれません」
そんな相談をいただいた。
それで、「どんなしつもんをしたらいいですか?」と尋ねられる。
あのね。
そもそも、話したくないのだよ。
学校の話を。
だれに?って…、あなたに。
シンプルに、そういう話だと思うのね。
ただ、耳を傾ける。
ただ、寄り添う。
そういうことが難しいらしい。
大人には難しいらしい。
だから、あれやこれやと質問攻めにする。
「今日はどうだったの?」
「学校は楽しい?」
「友だちとうまくいってるの?」
こうやって、質問攻めにあうたびに、子どもの心は離れていくのだ。
聞きたいことだけ聞いてない?
「しつもん」を、僕は「問いかける」と表現している。
こちらの方がしっくり来る。
相手の心に寄り添おうとすると、「問いかける」がぴったり来るのだ。
そして、そういう在り方でいるから、人は心を開いてくれる。
ところが多くの大人は、子どもの心を閉じさせる。
「今日はどうだったの?」
「学校は楽しい?」
「友だちとうまくいってるの?」
これは全部、あなたが知りたいことなのだ。
わかる?
あなたが知って、安心したいための「質問」なのだ。
独りよがりって言ってもいいと思う。
「しつもん」をどうやら勘違いしているらしい。
「しつもん」は、僕が知りたいことを聞いてるわけじゃない。
相手を深く理解するために、僕は相手に興味をもつ。
相手が話したいことと僕の興味の重なる部分を「しつもん」にしている。
良い悪いとジャッジせず。
アドバイスもせず。
ただ、相手を感じて、認めて。
まずは「ただ聴く」
ただ聴く。
これが大人には難しいらしい。
良い悪いとジャッジしたくなる。
アドバイスをしたくなる。
そうそう。
そういうのを捨てられないから、話をしていて心地悪いのさ。
なぜだかわかる?
上から目線になるもん。
そういう在り方でいると、上から目線になるでしょ?
だからね、まず聴く。
そして、シンプルに、相手への興味をもつ。
相手が話したそうなことに「しつもん」してみる。
つまり、相手に意識を向けてみるのだよ。
子どもとつながる問いかけの魔法
聞きたいことだけ聞くものだから、話をしたくないんだよ。