悩んでも仕方がないことで悩まない。
答えは必ず相手の内側に存在する。
世の中にあるさまざまなツール。
それは『魔法の質問』しかり、『心書』しかり、『まなゆい』しかり、『パッションテスト』しかり、『NVC』しかり。
いろんなものをカジってきたけど、本質的には同じだと思うのね。
それは、自分の中にちゃんと答えがあって、それにアクセスするツールだってこと。
手法は違えど、本質は同じ。
だから、アドバイスはいらないの。
アドバイスをしても、人は動かないから。
なぜかって、答えはその人の中にあるからなのね。
アドバイスをすると、「する側」は気持ちいいの。
でも、動かない。
だって、それは「する側」の答えであって、「される側」の答えじゃないからね。
ってことは、だ。
相手の内側に答えがあるって、どこまで信じられるか。
こちらの「在り方」が問われるわけ。
魔法の質問『ことはカード』は、その点がマジで難しくてね。
本当にこちらの「在り方」が問われるの。
ついついアドバイスしたくなる。
相手の思考を先回りしたくなる。
そこを手放して、相手を信じることから始まる。
あれはトレーニングツールだな…、と思う。
しつもんが嫌いです。
で、「しつもんされるのが嫌いです」という方がいる。
僕は、それも答えだと思う。
そもそも、質の高い「しつもん」は、尋問や詰問とは違う。
自分の答えとアクセスできる人間にとっては、「しつもん」はある種の心地よさすら感じる。
ところが、自分とアクセスできない人にとっては、これが苦痛であるらしい。
それはどんな人か。
「正解、不正解」で生きている人である。
「正解、不正解」は、外へのフォーカスから生まれる。
周囲の人にどう思われるか。
どう答えたら、評価されるか。
どう答えるべきか。
答えは内側にしかないのだけれど、外側にフォーカスしてしまう。
そういう人にとって、「しつもん」は疲れる。
だから、「今はしつもんするタイミングではないのだな」と考える。
そんなときは、「しつもん」しない。
それも相手を大切にすることだと思う。
それは相手の「課題」です。
すべての「課題」も「問い」も、その「答え」も。
全部相手の内側にしかないとわかったとき、僕はモンスターペアレンツとさえ、平気で対峙できることを知った。
そりゃ〜もう、いろんな親御さんと出会ってきた。
担任さんとバトンタッチして対応する。
疲弊した担任さんと選手交代。
「なぜ、平気なんですか?」とよく尋ねられた。
そりゃ、だってさ、むっちゃ怒ってるけど、それはこの人の中の「課題」であり「問題」であって、僕の「課題」でも「問題」でもないわけだ。
で、それはもう僕には解決は不可能。
解決できないものを悩む必要なくね?
だから、話が聴ける。
解決しようとして話を聴いたら、そりゃ疲れるよ。
でも、解決するのは僕じゃなく、この人自身だから。
2時間でも3時間でも話を聴いていられた。
山ほど修羅場をくぐってくると、解決できることとできないことがハッキリと存在していることを知った。
その「解決」は「僕の力」で起こるわけではなく、「問題」を感じている「本人の力」で起こるのだ。
だから、相手を信じるしかない。
相手が抱える「課題」を自分の「問題」にしてはいけない。
その思考は、あなた自身を苦しめる。
全部、相手の内側にしかない。
悩んでも仕方がないことで悩まない。
そういうことが大切なのだ。
子どもとつながる問いかけの魔法
相手を信じると、境界線が引ける。