「なんで?」ってなんで聞くの?
「なんで?」って言いたくなる気持ち
「なんで?」って、ついつい尋ねてしまうよね。
「なんで、こんなことしたの?」
「なんで、こんなこともできないの?」
なんてね。
この「なんで」がよくないらしいのね。
「なんで」って尋ねると、「言い訳」しか出てこないから。
「なんで遅刻したの?」
なんて尋ねられたらどう?
「寝坊したから」
「電車が遅れたから」
言い訳が出てきちゃうわけ。
でもさ〜、思うんだなぁ。
これって「言い訳」なのかな〜。
話をしている方の立場で考えると、これって立派な理由だと思うんだ。
「言い訳」って感じてるのは、
「なんで?」って尋ねた方
なんだよね。
んじゃ、「なんで?」って尋ねる方はだよ、
なんで「なんで?」って尋ねるんだろう?
何が望みなんだろうね?
自分の内側を満たす
「なんで?」って尋ねるとき、
何か求めている答えがあるのだろうか?
たぶん納得する答えなんてないんだよね。
答えがないという「問い」をぶつける!
だから、すべて言い訳に聞こえるんだと思う。
これはもうあれだ。
怒りをぶつけたいだけ。
攻撃だと言っていいね。
で、相手が黙るか、ひたすら謝罪させるか。
そんな感じで屈服させたいんだと思うんだよ。
そういう攻撃性って、
満たされていないときに出ちゃうよね。
あのね。
自分が満たされているときって、
「なんで?」って言葉は出てこないんだよね。
生徒が遅刻してきてもそう。
生徒が忘れ物してきてもそう。
受け入れ、認め、許し、愛する。
そんなことができちゃうわけ。
結局、自分を満たせているかどうかなんだよね。
満たせていないとさ、
「なんで?」が出ちゃうんだわ。
叱らない生徒指導
いや…、教室にはいろんな子がいてさ。
当然、苦手なことは人それぞれあるわけね。
んで、「なんで、あの子はこうなの?」みたいに怒ってる先生もいるわけ。
それを子どもにぶつけちゃう人もいるわけよ。
ホント、叱るの好きだよね。
まあ、僕もそうだった。
でもね、叱っても変わらね〜んだ。
(叱っても変わらね〜な〜)って思いながら、
仕事として叱ってたわけ。
叱らないとちゃんと指導してないみたいじゃん?
見て見ぬフリしてる感じするじゃん?
だから、叱ってた。
自分のために叱ってた。
ポーズだよ、ポーズ。
働いてるフリしてたの。
それにさ、
生徒指導なんて立場だと、
生徒指導できてる感じ出さなきゃいけないでしょ?
無理してたと思う。
でもね、あるときからやめたの。
アホ臭くなってやめた。
ところがだよ。
叱るのやめたら、子どもが変わったの。
部活のときに、指導するのをやめたら、強くなったって話を書いたけどね。
生徒指導も、叱るのやめたら、いいクラスができるようになったんだよね。
もうさ〜、先生いらね〜じゃん!
俺、いらね〜じゃん!って感じだった。
そんなわけで、
生徒指導の担当なのに、
叱ることがなくなった。
ヘラヘラしててもなんとかなるわけさ!
んでね、やっぱそういう心もちになると、「なんで?」って出てこないのよ。
子どもが失敗するじゃない?
忘れ物したり。
遅刻したり。
あんなこと、こんなこと、するわけ。
でもね、
「なんで?」って思わないの。
「仕方なくね?」って思うわけ、
んで、「じゃあ、どうしたらうまくやれるかな〜?」って「問い」が生まれるわけ。
結局、大人の在り方なんだよね。
「なんで?」って言葉が出てきたときは、(おやっ?アタシャ、満たされとらんのかね〜?)と考えてみるといいね。
子どもとつながる問いかけの魔法
「なんで?」って言葉が口をついたら、「ハッ!」としてみる。