学校の評価が厳しいと感じるあなたへ
教科の学習について考える
この世界を生き抜く力をつける。
そのために、教科の学習は存在している。
意識の高い「学校の先生」には、そういう視点がある。
残念だが、「教えなければならない」知識を教える(正確には「教えた」という事実を作る)ために授業をしている者もいる。
だが、ちゃんと高い視点を持って授業づくりに取り組んでいる先生もいることを忘れないでほしい。
「教科」の学習は、本来この社会を生き抜くために存在している。
点数の取り方を教えているわけではない。
学校は、あくまでも進路指導であって、受験指導ではない。
んで、その辺も間違えちゃってる先生も保護者も多い。
やっぱ意識の高い先生は、そのあたりもちゃんと心得ている。
「その子がどうしたいか」をちゃんと引き出してくれる。
教育って、「生き方」を考える場を提供することだと思うんだ。
中学校の評価を甘くするとどうなるか
学校での教育活動は、「評価」と切り離すことができない部分もある。
これは致し方ないことなのだけれど、学校の評価(いわゆる通知表)は、進路選択と直結している。
そもそも評価なんてものは、主観的なもので、教師のさじ加減一つの部分がある。
僕らは神ではないのだから、評価とはすべて主観の範疇を超えない。
できるだけ主観的なものを排除しようとすると、相対評価を基礎とした方がわかりやすい。
すると、定期テストだって、減点しやすいような作りになる。
だれもが100点では、困るわけだ。
もちろん、そこは大人の都合。
ただし。
中学校で厳しい評価をつけているからこそ、その評価は高校入試に考慮される。
「厳しいテストで、子供のやる気が削がれた」みたいな話を聞くと、モヤっとする。
みんなが100点をを取れるようなテストを作り、全員が理解できたことを確認し、全員通知表を「5」で評価するのは簡単だ。
だがそうすれば、高等学校は中学校の評価(通知表)を入試に考慮することはなくなる。
これはもう、今から16年前、僕がまだ新卒だったころ「相対評価」から「絶対評価」に変わるときに、ずいぶん議論されたことだ。
「絶対評価」だから全員「5」でもいいってのは、なんか違う気がするんだよね。
緩い評価をつけると、高校入試が大学入試のように、当日1発勝負となってしまう。
それは、精神的に安定しない思春期の子どもたちにとっては、かなり酷な状況なのだ。
学校の評価(通知表)で、救済されている子どもは確かにいる。
そういう意味では、難易度の高い定期テストを設けることで、学力差を明確にし、学習成績を算出する。
それによって、実は救われている子もいるということを忘れてはいけないと思う。
中学校を卒業した後、「浪人生」がほぼいないのには、そういう背景があるからなのだ。
結局、だれにでも受け入れられる万能なものなんて、この世には存在しない。
一方から見ていたものを反対側から眺めることが必要だと思う。
批判するってのは、簡単だよな、と思うわけさ。
創造的な人生を生きるためのしつもん
逆から眺めたら、何が見えそうですか?