学校はそういうところだ。
9月1日プロジェクト
9月1日を過ぎると、今年もお祭り騒ぎが終わる。
あれほど聞こえてきた「学校なんか」コールが終わる。
まるで蝉の鳴き声のようだ。
去年感じた違和感はこれだった。
いっときのブームに乗って騒ぎ出す。
だが、「9月1日」が終わると忘れてしまう。
だから、September one projectと称して、映画上映プロジェクトを行った。
本当にやりたかったのは、たぶん「子どもの自殺予防」ではない。
「無関心」に対するアンチテーゼなのだ。
「9月1日」をテーマにしながら、実は「大切なのは9月1日ではないよ」と伝えたかったのだ。
子どもに向けた取り組みと伝えながら、実は届けたいのは「大人の方」だったのだ。
…と、シェア会をしながら気づいた。
昨日は今回の上映会のシェア会でした。
大きなホールを借りたくせにまったく集客をしていなくて、超絶ガラガラだったけど。
内容は、濃かったりして、まあOK。
このプロジェクトはここで一区切りかなって思っています。
それ、「学校」の初期設定ですから
学校は行きたければ行けばいいし、
行きたくなければ行かなくてもいい場所だと思っています。
ただ、「行かない」を選択した場合、
進路選択の幅は、ずいぶんと狭まってしまいます。
ただ、校名を選ばなければ高校卒業資格を得られる進路はいくらでもありますし、高校卒業資格さえ得られれば、その後大学や専門学校に進学することも可能です。
ただし、それを可能にするのは確かな学力です。
学校に通わない以上、家庭でその学力を身につけておく必要があります。
そういうものを学校は、身につけさせてくれる場所です。
「宿題なんてなければいい」
そんな声をよく耳にします。
僕もその通りだと思います。
ただ、「宿題を出す先生や学校が悪い」という見方は、偏っているなぁと思うのです。
そもそも学校は、そういう場所です。
宿題を出す場所ですし、先生は宿題をやらせるのが仕事です。
国家が定めた学習指導要領に従って、カリキュラムを進めているのです。
何を選択しますか?という話なのだ
宿題をやるか、やらないか。
それを選択すればいいだけの話です。
宿題なんて、「やらない」って決めてしまえば「2秒」で終わりです。
先生が何か言ってくる?
「ウチはやらせません!」って電話入れちゃえばいいんです。
当然成績は下がります。
だから、何ですか?
モンスターペアレンツと思われる?
だから、何ですか?
思われた方が、学校は丁寧に扱ってくれますよ(笑)
学校が悪い!先生が悪い!と叫んだところで、そんなもの変わりません。
学校はそういう場所であり、それは先生の業務です。
初期設定です。
変えられるのは自分だけ。
家庭のことはいくらでも変えられます。
宿題を手伝うことも、出さないと決めることも自由自在です。
「行く選択」も「行かない選択」も自由自在です。
教育を受けさせる義務が親にはあるけれど、教育は「=学校」ではないはず。
今はたくさんのフリースクールも用意されています。
何かを悪者にする議論は、問題解決から遠ざかってしまうのです。
もっとシンプルに考えた方がいいんだよね。
子育てに迷った時に出逢いたい100の言葉
目の前にはどんな選択肢がありますか?