ついつい空気を読んでしまうあなたに
人間は「みんなと同じ」だと安心する。
昨今の「空気を読む」なんて風潮はまさにそれ。
意見が大勢に流されやすい。
流されやすい人たちがたくさんいてくれると、メディアはコントロールしやすい。
ちょうど反日デモが起こったとき、一斉に「中国は恐いところ」みたいな報道がなされた。
突然、中国が危険地域になってしまったわけ。
現地で暮らす僕らからすれば、いつもと変わらない毎日なのだけれど。
結果、運動会が中止になるなど、大きな影響が起こった。
職員室だって「何かあったら責任が取れない」という意見と、「別に何も起こってなくない?」という意見が混在していた。
保護者からも「運動会を中止にしろ」という意見と「運動会をやれ」という意見が寄せられた。
自分の目で見て、肌で感じた場合、もうそこでは何も起こっていないわけだけど、僕らは情報にちゃんとコントロールされているわけだ。
で、この「空気を読む」って感覚。
僕はちょっと「読む空気」を間違えているところがある。
たとえば、「校長先生」が、それちょっと違うんじゃないの?的なことをおっしゃるわけ。
会議の空気は「ちょっと違うんだけど?」な感じ。
だけど、みんな空気を読んで何も言わない。
わかります?
「ちょっと違うんだけど」って空気と、そうは言っても目立ちたくないから流されよう的な空気が、いつも混在しているわけ。
で、僕は「ちょっと違うんだけど」的な空気の方を読んでしまう。
で、校長だろうが教育委員会だろうが、「おかしなこと」を言ってたら、「それ、おかしくねえか?」って言ってしまう。
空気を読んでるんだけど、これがまた「空気が読めない」に取られてしまうんだな。
基本的に、「学校の仕事」は、「子どものためになるかならないか」が基準。
「それ、自分の保身っすよね?子どものための決断じゃないっすよね?」
そういうことを平気で言ってしまう。
まあ、たとえばウルセー保護者が来て無理難題を言ってくる。
校長としちゃ、回避したい。
んで、回避するために多少子どもには我慢してもらう。
そんなバカな…って選択があるわけね。
これ以上は書けないけど。
で、僕は空気を読んで「ふざけんな、バカ」みたいなことを、凡人にもわかる丁寧な言葉で説明するんだけど。
つまりそういうところが「従業員」としては使いづらいコマだったろうな、と思う。
核心を突いちゃうから。
できた校長には扱いやすいし、できない校長には邪魔者だったと思う。
問題が起こったとき、勝手に行って勝手に解決してきてしまう。
で、だ!
どんどん横道に逸れちゃうんだけど、つまりね、この「空気を読む」と安心するってのは、何だって話を書きたいわけ。
空気を読むと安心する。
この気持ちは何だろう?(by谷川俊太郎)