生きることが何となく不安なあなたへ
「学校に行かない」も、「みんなと異なる」も、「お金がない」も、「もしものとき」も。
すべて同じ。
実体がないものに対して、僕らは不安を抱えている。
そして、いろんなものと引き換えにして、それを安心に変えている。
一度安心を手に入れると、今度はそれを失うことを極度に恐れるようになる。
執着してしまう。
だから、多くの人は「居心地のいい場所(コンフォートゾーン)から抜け出せない。
だが、一見その「居心地の良さ」は、「不安」を取り除いただけの場所かもしれない。
安心できる場所は、実は狭い犬小屋の中かもしれないぜってこと。
毎日餌が出て、他の動物に襲われる心配もない。
だが、実は首輪を繋がれている。
そんな場所にいるのかもしれないぜって思うわけ。
よく仕事を辞めた理由を尋ねられる。
一応、「万人受け」する答えを用意している。
ここまで「学校の先生」を続けてきて、「学校現場」を知り尽くして現場を離れる人は少ない。
そういうポジションで、自分ができることをしていきたいから。
これは嘘じゃない。
自分の名前で勝負してみたい。
「学校の先生」としての自分ではなく、「一人の人間」として仕事がしたかったから。
これも嘘じゃない。
学年主任になって、尻拭いみたいな仕事だらけになった。
そんなの俺にやりたいことじゃない!
これも嘘じゃない。
時間と場所に縛られない生き方がしたい!
自分で自分の人生をコントロールしたい!
これも嘘じゃない。
でも、今日は一番書きにくい理由を書いておこうと思う。
僕は「学校の先生」を続けていれば、次の異動で「教務主任」になり、次に「教頭」になり、んで最後は「校長」になる。
一応「優良教員」だし、研究の分野もがんばったし、海外にも派遣されてるし。
何より、異常に採用人数が少なくて、同期の人間が極端に少ないし(笑)
そんなわけで、人生のレールがだいたい見え始めた30代半ば。
僕は進路指導主事になった。
進路指導の先生をやると、高等学校の渉外担当の先生が菓子折を持って挨拶に来る。
僕の勤務する地域では、退職した校長先生が高等学校に再就職していることが多く、いろんな「元校長」が挨拶に来るわけだ。
あれだけ偉そうに「校長」として研究会で振舞っていた人たちが、退職後はペコペコ頭を下げながら名刺を取り出し、菓子折りを持ってこんな若造のところに挨拶に来るのだ。
それがまた、生徒募集に苦慮している高校に再就職した先生はペコペコするし、生徒がどんどん集まる高校に再就職した先生は、横柄になる。
「ウチは集まってますから」的な。
いや、待て。
「お前が偉いんじゃなくて、その高校が人気あるだけだから!」と思うのだが。
彼らは「肩書き」で仕事をしているのだとわかった。
僕はこのままこの仕事を続けていれば「人生のマックス」が、「これ」なのかと感じた。
もうここからは僕の努力とは関係なく、レールの上を走っていくことになる。
そして、マックスがこれ。
僕らが定年を迎える30年後には、きっと定年制度は70歳になっているだろう。
そのとき、残された人生ってマジで余生。
余った人生…。
そのとき、心も体も元気なんて保証はどこにもない。
妻も僕も健在であるという保証なんてない。
僕はそう感じた瞬間から、「生きる屍」のようになってしまった。
俺は何のために生きてるんだ?
そう思った瞬間から、毎日が苦しくて仕方なくなったのだ。