いついかなるときも味方であり続けられますか?
彼女は、今で言うところの特別支援学級に籍を置いていました。
とはいえそこは、数十年も昔の英国。
専門的な教育とはほど遠いものだったそうです。
4人の兄と5人の姉に続く末っ子の彼女。
母親は47歳と高齢だったため、大変な難産となります。
短時間ではありましたが、赤ん坊は酸欠状態になってしまいます。
そのことが原因で障害を抱えて生まれてくることになりました。
ところが、障害があったからなのでしょうか、ご両親は彼女に大きな期待をかけることをしません。
それがある意味では幸いしたのか、臨機応変に臨機応変に子育てをしていくことになります。
とりわけ、母親には愛され愛され、大切に育てられたのだそう。
幼いころから歌うことが大好きだった彼女。
でも、歌うのは彼女だけではありません。
家族全員歌うのが大好き。
父も母も兄も姉も。
だから、彼女は家族の前でだけ、大好きな歌を歌いました。
なぜって縮れた髪の毛と生まれつきの障害をもった彼女は、学校ではいじめられてばかり。
自分の殻に閉じこもることを選んだ彼女。
親しく付き合う友だちはいないし、年頃の女の子になっても、お化粧もしない。
家族以外の人と付き合うことは難しく、音楽だけが彼女の友だちでした。
彼女はずっと孤独なままだったのです。
彼女は言います。
「自分にできることを見つけて、それだけに集中したの。私が得意なのは歌だけだった」
自分の部屋で音楽を聴いているときだけは、「なりたい自分」になれたのでした。
そんな彼女の才能に気づいた人物が1人だけいました。
母親のブリジットです。
母は彼女にアーティストの卵たちが出演するショーに参加するように勧めます。
この経験が彼女の心のエンジンに火をつけます。
2009年4月11日、イギリスの人気オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』に1人の中年女性が出場します。
ボサボサの髪で歌う彼女の歌声に、聴衆と審査員は驚きの表情を浮かべ喝采を送ります。
この模様はyoutubeにアップされ視聴回数は3億回を超えることになります。
彼女の名はスーザン・ボイル。
「奇跡の歌姫」と呼ばれ、海を越えて紅白歌合戦にも出場しました。
容姿が重要視されるショービジネスの世界において、彼女は異端の存在です。
生まれつき学習障害を抱え、いじめられてきた彼女。
そんな彼女の唯一の理解者は母親のブリジットでした。
いかなる障害を抱えていようとも、娘の可能性を信じ続けた母ブリジット。
中年のおばさんになっても。
ボサボサの髪型でも。
彼女だけはスーザンの可能性を信じ、『ブリテンズ・ゴット・タレント』に出場することを勧めたのでした。
子供が何歳になっても母は母。
彼女の味方であり続けたブリジット。
スーザンが開花する3年前、91歳でこの世を去りました。
子どもの才能が花開く問いかけの魔法
味方って、どんな存在?
【参考文献】
アリス・モンゴメリー著
『スーザン・ボイル 夢かなって』
(早川書房)