才能の種を発芽させる方法

テニスをする子ども

昨日の話の続きです。

テニスの錦織圭さんのお話ね。。

 

辞めたがってる習い事を続けさせた方がいいですか?

 

小学2年生のときには、地元の野球チームに参加しました。

やはりバッティングは上手なんですね。

ところが、大きな問題がありました。

来た球はストライクもボールも関係なく打ってしまいますし、一球待ってフォアボールを狙うなんてこともできません。

そう。

彼は野球選手ではなくテニスプレーヤーなんですね。

それに、いつ球が飛んでくるかわからない守備が退屈で仕方がありませんでした。

 

 

サッカーも大好きで、小5のときにはトレセンの選考会にも呼ばれています。

しかし、「おしゃれに決めた方がカッコいい」という理由でアシスト役に徹し、コーチ陣のお眼鏡に叶うことなく落選。

チームスポーツは自分が思うように好き勝手にはできません。

監督やチームの意向に合わせる必要があります。

やはり、彼にはテニスが性に合っていたのでしょう。

 

 

スポーツの才能は、技術的なものだけではなく、その性格にも左右されます。

お姉さんは小学6年生のとき、全国大会に出場しました。

出場選手と家族のパーティーが行われたのですが、彼は会場に入ろうとしません。

「僕は選手として選ばれていない」と、お母さんの手を引いて大泣きしたのだそう。

彼がまだ小学2年生のときのエピソードです。

 

 

とにかく負けず嫌い。

思ったようなプレーができないと、ベンチでタオルを被り、涙を流していたとか。

 

 

それぞれに持って生まれたものがあります。

それは初期設定です。

 

 

彼には世界で戦うための初期設定がなされて生まれてきました。

そして、その「天才の種」は、見事に開花されました。

 

 

彼が生まれた島根県は人口70万人。

決して、テニスの強豪県ではありません。

だからこそ、小2で中国大会、小4で全国大会に出場することができました。

「大都会では子どもたちが多くて競争が激しく、レベルも高いから大舞台の経験も積みにくい」とお父さんも述べています。

 

 

刺激が少ない環境では切磋琢磨がありませんから、成長は止まります。

一方で、そこにいるだけで苦しいような環境でもまた、才能の芽は摘み取られてしまうことでしょう。

島根から全国へ、そして世界へ。

 

 

それは、彼の「天才の種」を開花させるのに最適な環境でした。

 

 

また、彼が選んだ道を、ご両親が最大限にサポートしました。

 

 

将来を見越し、お父さんはラケットメーカーのウィルソンに売り込み、用具提供契約を結んでしまいます。

彼がまだ11歳の頃の話ですから、異例の若さでした。

「将来トッププロになったとき、海外を転戦しても困らないように」と、世界のトッププロが多く愛用するメーカーを選んだのだそう。

 

 

ところが、彼が通うテニススクールが提携するメーカーとは異なるため、ガットを張る料金が2倍かかると言われてしまいます。

すると今度は、ガットを張るマシンを自分で購入してしまうのです。

 

 

錦織圭さんがプロに転向したのは17歳。

そんな彼をサポートするため、お父さんは仕事を退職します。

(コートで勝負することに集中させてあげたい)

そんな気持ちだったのだそうです。

 

 

お母さんもまた、愛に溢れた人でした。

直前の大会でクルム伊達公子さんからおにぎりをもらったことをうれしそうに語る錦織圭さん。

それを聞いたお母さんは、アメリカまで応援に行く際、荷物の中に炊飯器を入れて旅立ちます。

 

 

ご両親は渡米する彼を見送りに行くのだけれど、彼は空港で決して振り返らないのだそうです。

世界を見据える彼と、そんな彼を温かく見守るご両親。

そんな関係性が、「天才の種」を開花させたのかもしれません。

 


【参考文献】

文 稲垣康介
『ダウン・ザ・ライン』
(朝日新聞出版)

 

秋山英宏 著
『頂点への道』
(文藝春秋)

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。