どんなエピソードも、「天才の種」を発芽させる栄養素

クリスマスツリーと少女

日野原重明先生のお話の続きです。

根っこの部分を大切に育てる

 

その生涯を医療に捧げた日野原先生。

その道を志す大きなきっかけは、10歳での出来事でした。

 

 

牧師であったお父さんの仕事を手伝い、いつも忙しく働くお母さんの姿を思い出します。

笑顔を絶やさず、オルガンを弾きながら、賛美歌を清らかに歌う。

そんなお母さんの姿が思い浮かびます。

 

 

先生が10歳のころ、お母さんは持病の腎臓病を悪化させ、けいれんの発作を起こしてしまったのだそう。

元来身体の弱かったお母さん。

尿毒症となり、かかりつけのお医者様がいらした頃には意識も混濁。

お医者様は命をなくす可能性を家族に告げます。

 

 

先生は部屋の片隅に座り込み、「神様、お母さんを助けてください」と祈り続けました。

その甲斐あってか、どうにか一命を取り留めます。

患者を救う熱意あふれるお医者様の姿に、「僕も大きくなったら、人の命を助けるお医者様になろう」と誓ったのでした。

 

こうして、京都帝國大学医学部に入学し、医者への一歩が始まります。

ところが、大学1年生の終わり、結核を患ってしまいます。

 

お母さんが懸命に看病する中、絶対安静の寝たきり生活は、実に8ヶ月に及びました。

当時は、結核の抗生物質などない時代。

結核は「不治の病」とも呼ばれ、先の見えない不安に苛まれたのだそう。

 

 

やがて、先生の中で「医者になるのは無理ではないか」という思いが沸いてきます。

この身体では医師の激務に耐えられないのではないか、と思われたからです。

 

 

復学したのちも、体調は思わしくなく、痛みに耐える日々が続きました。

病気になったからこそ患者の痛みがわかるようになりました。

他人の痛みに共感できる感性が得ることができたと述べています。

 

 

僕らはこの世に生を受ける前、自分の人生のシナリオを選んで生まれてくるといいます。

それが本当か嘘なのかはわかりません。

 

 

ただ、たくさんの偉人や成功者など、自分の人生を真正面から生きている人たちのストーリーを読み解くと、あながち嘘ではないような気がしてきます。

人生には、そのストーリーを成立させるために必要なエピソードが散りばめられているのです。

 

 

母の重篤なる病で、医者の道を志した日野原先生。

自らの病でもって、患者の痛みがわかるようにもなりました。

やはり、人生には必要なエピソードが用意されているのです。

 

 

思うに、僕らの人生にはたくさんのエピソードに彩られています。

その一つ一つに良い悪いとジャッジしたがります。

 

 

ですが、人生で起こることはすべて、僕らのために用意されたエピソードなのです。

自分自身の人生を信じられたとき、子どもたちの人生もまた、信じることができるはずです。

 

 

抗うのではなく、素直に受け止めてみる。

エピソードは、「天才の種」を発芽させる栄養素のようなものなのですね。

 


【参考文献】

日野原重明 著

『僕は頑固な子どもだった』

(株式会社ハルメク)

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」として人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・2018年~2019年 100人のボランティアスタッフをマネジメントして『子育て万博』を主催。

・2021年~2024年 パリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフのマネジメントを担当。

・経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムCrewDocks®︎を開発。企業研修など精力的に活動中。