起こる出来事には、ぜんぶ意味があるんだぜ♪

病いを知って、健康のありがたみを知る。
そんなところが、人間にはあります。
大切な人は、失ってはじめて気づく。
そんなところが、人間にはあります。
人生とは、「幸せ」の連続ではありません。
ときに、思いがけぬ不幸がやってきます。
それによって、「幸せ」を知る。
そんなところがあるのですね。
「生きる」ということ。
命の尊さを改めて感じ入るのは、人の死と対面したときです。
先日、妻の祖母が亡くなりました。
享年102歳。
大正に生まれ、戦争を体験し、戦争未亡人となられたと、略歴で伺いました。
人生を生き切る。
天寿を全うする。
妻や子どもたちとともに参列した式は、とてもあたたかいものでした。
妻の父は、定年を迎えると、まもなく亡くなりました。
眠るように亡くなった祖母とは異なり、突然の別れでした。
年老いて、我が子に先立たれる悲しみも味わいました。
天国できっと再会されていることでしょう。
ふと、そんなことに思い至り、目の前にいる我が子たちが生きていることの幸せを、ただただ噛みしめるのでした。
ついつい忘れがちなことなのだけど。
生きている、ただそれだけで尊いことなのですね。
先日、あるお母さんが、お子さんのことで相談に来てくださいました。
不登校のお子さんの進路相談です。
不登校になったことは、確かに負担が増えることだったかもしれません。
心を揺さぶられ、かき乱される出来事だったかもしれません。
僕はそんな親御さんとも、たくさん出会ってきました。
学校を責め、お子さんを責め、自分自身を責め。
まるで、「学校に行かないこと」が「悪」であるかのように受け止めてしまう。
そんなお母さんたちです。
一方で、こちらのお母さんは違いました。
お子さんの不登校。
それがあったからこそ、彼女は新たな仕事に出会うことができたと言います。
お子さんの不登校がきっかけで、身体や心と向き合うお仕事を始めたのだそう。
「不登校になったおかげで、ご縁がつながり、我が家へも来ることができるようになった」
そうおっしゃっていました。
思うに、我が家へいらっしゃる方って、子どもに関わるなんらかの課題を抱えていらっしゃる方ばかりです。
なにも課題を感じていなければ、僕のブログなんて読みませんし(笑)
そう思えば、「子どもの課題」もまた、大変価値あるものなのだと気づかされます。
つまりね。
目の前で起きる出来事を、「良い」「悪い」と決めつけることなどできないのです。
ただ、事実を事実として受け止める。
「そこから学べることはなんだろう?」と自問自答する。
そういう在り方が大切なのですね。
人生は万事塞翁が馬。
何が幸せで、何が不幸かなんて、僕らにはわかりません。
宝くじの高額当選者の多くは破産してしまうなんていうお話もあります。
起こる出来事には、すべて意味があります。
ですが、その意味を味わえるかは、やはり僕らの在り方に委ねられているのです。
年の瀬も迫り、今年のご縁を振り返ります。
それは思いがけぬことの連続でした。
思えば、「学校の先生」として、毎年決められたサイクルで過ごしてきました。
職を辞し、新しい人生がスタートした今年。
めまぐるしく目の前にいろんなことがやってきました。
今年の元旦に、今の生活など知る由もありませんでした。
であるならば、来年はどうなっているのか、それがもう楽しみで仕方がありません。
今からとてもワクワクしています。
魔法の質問
その出来事から何を学びますか?
