部活動って、そんなに悪者?

部活動を応援する女子中学生

今、いろんな働き方が取り上げられてきている。

教育界に目を移せば、「ブラック部活動」なる言葉をよく目にする。

 

 

サッカー部の指導がしたくて先生になったような僕は、そもそも「部活ありき」で教員を志したから、ちょっと違和感があったりする。

 

 

まあ、それも時代の流れなんだなぁ…と思う。

 

 

先日、ネットサーフィン(死語)をしていたら、こんな記事を見つけた。

ある先生が「私は部活動の指導をしません」と宣言したらしい。

そんなものがニュースになるのかと驚いた。

まあ、これからはこういう先生がどんどん増えていくんだろうな、と思う。

 

 

忘れていけないのは、それでも部活動はなくならないということである。

じゃあ、その先生が「部活動をやらない」と宣言した皺寄せはどこに行くのだろう?

 

 

それは、「がんばり屋の先生」のところである。

 

 

僕がず〜〜っと「学校の先生」という仕事で嫌だったのは、仕事の軽重がありすぎるところである。

働かない先生はどんどん仕事が少なくなり、働く先生の仕事はどんどん増えていく。

それでいて、給料は完全年功序列制。

 

 

どう考えても「がんばらない方が得」に見えてくる。

それでも「がんばる先生」がいる。

だから、学校は回っていくわけだ。

そして、そういう先生から潰れていく。

 

 

 

さて、部活動の話に戻そう。

 

 

そう、あれは初任から数えて6年目だったと思う。

僕の公務分掌のひとつが「部活動」だった。

 

 

僕が赴任した学校は吹奏楽部がとても有名な学校だった。

全国大会常連!

そのため、なんと次の顧問の成り手が見つからず、顧問の先生と交代でやってきたのは、「合唱」が専門の先生だった。

 

 

「あの学校に赴任して吹奏楽部の顧問になったら大変だぞ」

そんな噂が出回っていたらしい。

 

 

こうして、吹奏楽部の顧問を失った学校で、次の顧問の白羽の矢が当たったのは教務主任の先生だった。

 

 

 

全国に連れていってもらえると思って入部させた保護者は憤り、けっこうな回数の保護者会がもたれた。

(入部の段階で、全国に行けば公立高校の推薦がもらえるみたいな話をしていたらしい…)

 

 

それはまあ大変な1年だった。

で、その翌年である。

なんと教務主任が退職!

 

 

ついに、臨時の顧問の先生すらいなくなってしまったのだ。

そして、保護者が僕のところにやってきた。

 

 

「あの〜、くればやし先生。最後の一年だけ、吹奏楽部の顧問をやってもらえませんか?」

 

 

新入部員を取らなかった吹奏楽部は、残すところ数名の中学3年生だけだった。

 

 

マジか⁉︎

僕はすでにサッカー部の顧問だ。

だが、罰の悪いことに、吹奏楽部の部長さんは、送り出したばかりの卒業生の妹だった。

 

 

 

仕方なく、僕は吹奏楽部とサッカー部を掛け持ちすることになった。

すると…、もうひとつ、廃部にする予定だった野外活動部なる部活動の保護者が「くればやし先生、野外活動部もお願いできませんか?」となったのである。

 

 

こうして僕は、3部を掛け持ちで顧問になった。

 

 

いい人すぎる!

 

 

困ってる保護者の要望を断れますか?

僕は断れね〜ぞ!

 

 

そんなわけで、放課後は校舎3階の音楽室をのぞき、中庭で野外活動部をチラ見し、運動場でサッカー部に指示を出した。

まあ、そんな指導でサッカー部が県大会まで行くものだから、「俺(顧問)、いらね〜じゃん!」って思ったけどね。

 

 

働き方改革だのなんだの言うけれど、上手に働き方を改革しちゃう人間がいる一方で、不器用で真面目な先生はがんばりすぎちゃうんだろうな…なんて思ったりする。

 

 

僕なんかは、ずいぶん部活動の保護者の皆様には助けてもらったなぁという意識がある。

保護者のお願いに応えるからこそ、こっちの無理がきく部分もあったと思う。

 

 

こんなことを言うのは時代じゃないかもしれないけどさ。

「がんばる先生」が仕事を被っちゃうようなことはないようにしてほしいよねって思う。

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。