子どもたちの認識を、自分を映す鏡に。
言った、言わないの議論はむなしい
子どもたちの認識が、
自分とは異なることってありませんか?
「そんな言葉、言ってないのに」
「そんな言い方していないのに」
子どもたちが思わぬ言葉を保護者に話して、炎上!
そんあ経験、ありませんか?
もちろん、僕にもあります。
「そんなこと、言うわけないでしょ?」
という内容で、苦情をいただくと、
「なんで?」と思って悲しくなります。
ある先生は、
「あの先生はひいきをしている」
と訴えられていました。
もちろん、
あえて「ひいきをする」
なんていう先生はいないでしょう。
すべての子どもに平等に接しているつもりなのに、
「ひいき」と取られてしまっている。
それはなぜなのでしょうか。
「何を伝えたか」よりも「どう伝わったか」
「ひいきなんかしていませんよ」
子どもたちの訴えに憤りを感じる気持ち、
よくわかります。
問題を一度整理してみる必要があるでしょう。
「ひいきをしたか」
「ひいきをしていないか」
という議論は、意味がありません。
大事なことは、子どもたちが、
「ひいきと感じたか」
「ひいきと感じていないか」
ここだけなのです。
「ひいき」
そう感じさせてしまったのであれば、
感じさせてしまった
自身の「在り方」を
見つめ直せばいいのです。
「したか」「していないか」
の議論からは、
なにも生み出しません。
子どもたちの感じ方、
つまり
認識を鏡にして自分の在り方を見つめ直す。
そこに映る姿こそ、
あなたが子どもたちに見せている姿なのです。
ハッピーな先生になるためのステップ
子どもの認識を鏡にして、
自分の在り方を写してみる