僕らは他人の目を気にし過ぎだぜ!
日本人は、「人からどう見られるか」を極端に気にする。
海外を旅してみると、それがよくわかる。
どこに国を旅してもそうだ。
みんな思い思いの格好をしている。
それは「おしゃれ」という意味ではない。
ぽっちゃりした体型でも、堂々と身体のラインが出る服を着る。
お年を召していても露出の多い服を着る方もいる。
ラメがいっぱいのド派手なシャツ。
がっつり入ったタトゥー。
それぞれが、好きな身なりをしている。
それでいて、下品ではない。
日本の「おしゃれさん」のように、「ちょっと無理してませんか?」的のノリは感じない。
みんなそれぞれが自然に自分を表現している。
この「自然に自分を表現する」ということが、日本人は極端に苦手だ。
「個性的なファッション」などというと、ついつい奇抜なファッションを想起させてしまう。
「個性的な髪の色」と聞くと、どんな色を想像するだろう?
ピンクや緑やブルーを想像してしまうのだ。
生まれもって美しい黒髮は、言葉がもつ本来の意味からすれば「個性的な髪の色」であるはずなのに、そうはならない。
僕らは「人からどう見られるか」を極端に気にしすぎる。
だから、この「個性的」という言葉には、ちょっとした揶揄が含まれれている。
人と異なることは、どこか「好ましくないこと」と見てしまう。
子どものころは特にそうで、他の子どもと同じ行動が取れないと、親は心配になる。
よくよく考えれば、これからの時代は「みんなと同じこと」しかできない人間は仕事にありつけなくなる。
みんなと同じ行動を取りたくないと感じ、自分で考え行動できる能力は、「これからの時代」を生きるうえで、必須の能力であると言える。
だが、僕らは「人からどう見られるか」を極端に気にする。
「こうしなさい」
「ああしなさい」
と口うるさく子どもの行動を先回りしてしまうのは、結局「他の人の目を気にすること」に起因することが多い。
思い通りに子育てが行かないことに「怒り」を感じるのは、他の人から見たときに「ちゃんと子育てができていない自分」を恥ずかしく思うからだ。
学校を2週間休ませて海外旅行に出かけた。
見る人から見れば「学校を休ませて遊びに連れてくなんて、どういうこと?」と思うだろう。
「勉強が遅れたらどうするの?子どもがかわいそう」と思うだろう。
だから、何?
バカじゃないの?
お前に関係なくない?…と思う。
今、夫婦で2週間、ヨーロッパを旅している。
その間、子どもたちの面倒を見ているのは僕の父と母だ。
「子どもをおじいちゃんおばあちゃんに預けて、夫婦で遊んでるなんてひどい親!」と思う人もいるだろう。
もう一度、言っておこう。
だから、何?
バカじゃないの?
お前に関係なくない?…である。
そもそも僕は誰にも迷惑をかけていない。
ウチの父母も迷惑だとは思っていない。
つまり成立しているわけだ。
どうも、この国は他人の目を気にしすぎるし、他人の行動を気にしすぎる。
はっきり言って、芸能人や政治家が不倫しようが俺には関係ない。
アメフトも「ひどいな」とは思うけど、メディアが出してくる日和見の不確かな情報に踊らされるのもバカらしい。
そんなものに振り回されて生きるようなくだらないことに、僕は自分の時間を1秒も使いたくはない。
「人からどう見られるか」という視点をポイ捨てしてみたら、人生なんてもっとポップに生きられるのになって思う。
ハッピーに生きるためのしつもん
それってホントに大切ですか?