学校で事件が起こるたび…

小1 熱中症

専門家の後出しじゃんけん

専門家っていいよな〜って思う。

専門家の意見は、だいたい「後出しじゃんけん」だ。

 

 

先日、いわゆる熱中症で小1の児童がなくなった。

それ自体は、とても悲しいことだ。

 

 

暑さの中で遠足に行くことの是非。

その後の対応の是非。

専門家の皆さんが、一斉に問題視する。

 

 

この場合、専門家として正解なのは、遠足には行くべきではなかったし、その後の対応がマズかった、だ。

 

 

でも、思う。

そんなもん、専門家じゃなくても言えるじゃん。

 

 

で、僕も教育の専門家として書いておくならば、「果たしてそんな判断ができるか?」と書きたい。

少なくとも、僕にはその判断をする自信がない。

 

 

 

 

学校行事、快晴の朝

まもなく夏休み。

この時期の教室はある意味浮き足立っている。

 

 

そんな折、きっと夏休み前最後の遠足だったのだろう。

朝から快晴である。

きっと子どもたちもウキウキしている。

 

 

先生たちもきっと職員室で日焼け止めを塗り、

「あ〜、イヤだわ。日差しが強くて…」

なんて言いながら談笑している。

 

 

それでも、この暑さの中、教室で勉強させるよりはよほどマシで。

学校行事の朝は、バタバタしながらも、ウキウキした気分になる。

 

 

さて、このタイミングで暑いから中止にしましょう、という判断ができるだろうか。

 

 

もちろん、今の空気感なら「中止」は可能だ。

でも、その子が亡くなる前の空気感では「暑いから中止」という判断をすることって、リアリティーがないと思うのだ。

 

 

このリアリティーって大事だよ。

 

 

 

空気を読む

昨日、娘が「学校からのお便り」を持って帰ってきた。

サッカー部の「夏の大会」が秋に延期されるということだった。

たぶん、これからはこういう対応が増えるのだろうと思う。

 

 

世の中の空気を読んで、教育活動がこういう方向に進んでしまうのだろうな。

叩かれないように、叩かれないように。

予防線を張るようになる。

 

 

こういうのって本当に難しいよ。

 

 

まもなく夏休み。

中学や高校の部活動は全国大会へとつながる公式戦が始まる。

簡単に延期にするわけにも行かないだろう。

 

 

異常な暑さである。

人命第一なのはよくわかる。

一方で、選手たちはその青春時代は、この夏のために捧げてきた、とも言える。

 

 

うん、こういうのって、正解はひとつじゃないんだよな。

だから、判断が難しいよ。

 

 

その判断がその瞬間にできるか?

東日本大震災。

石巻市立大川小学校でに在学する児童74名、教員10名が津波の犠牲となった。

校庭から「三角地帯」へ向かった児童76名と教員11名のうち、児童4名と教員1名を除き全員が亡くなったという。

 

 

震災当日の教員らの避難誘導や学校の防災体制が争点となって裁判が行われた。

一審判決は、津波到達の7分前までに教員は予見でき、歩いて2分ほどの裏山に避難させるべきだったとして、教員らの過失を認定。

14億円の賠償を命じたのだという。

 

 

そのニュースを見たとき、「すごい時代になったなぁ…」と思った。

原子力発電所は想定外の津波だったはずだが、教育現場の先生には予見できたのだ。

先生って偉大だ…。

 

 

 

だれがあれほどの津波を予想しただろう?

テレビで津波の映像を見たとき、映画の中の世界に見えて仕方がなかった。

 

 

「避難訓練」の決められたルート通りに動いてはいけないのだ。

あれほどの津波を予見して、別ルートを選ぶべきだったのだ。

 

 

そんなことが果たしてできるだろうか。

少なくとも僕にはそんな判断はできない。

 

 

雨のハイキング

昔、宿泊を伴う野外学習で雨の中をハイキングに出かけた。

学年主任の僕の判断だ。

事前の保護者説明会で「多少の雨ならハイキングに行きます」と伝えていた。

 

 

でも、この「多少」という表現はなかなか難しい。

野外学習センターの職員からストップがかからなければ「行く」つもりで準備していた。

 

 

ところが、頂上につくと雨足が強くなった。

仕方なく避難小屋で昼食を取り、2時間ほど子どもたちを休ませた。

 

 

僕はその間、一度頂上まで登り、写真撮影ができるスポットがないかを探した。

ハイキングの頂上での写真は、卒業アルバムにもドド〜んと載る大切な1枚だ。

 

 

だが、頂上はモヤがかかっており、何も見えなかった。

僕は急いで山小屋に引き返し、子どもたちに頂上には行けないと伝えた。

当然、子どもたちは残念そうだった。

 

 

下山ルートでは数人が足を滑らせた。

幸い、泥だらけにはなったものの、大きな怪我人は出なかった。

怪我人が出ようものなら、きっと僕の判断は「叩かれる材料」になっていたと思う。

 

 

結局のところ、決められたことを決められた通りにやることが一番いい。

リスクを負わず、少しでも危険を感じたら中止にすることだ。

早い話、何もやらないに限る。

 

 

こうなってしまうと、教育現場は萎縮する。

 

 

そうそう野外学習の際の話をもう一つ。

会場を下見し、子どもたちが考えたレクリエーションをやった。

それは、お尻につけたリボンを取り合う、鬼ごっこのようなゲームだった。

 

 

「なんでキャンプファイヤーのレクでそれをやるの?」とは思ったけれど。

初めて野外学習に出かける若い先生が陣頭で指揮を取っていたし、僕が知ったのはある程度形ができた後だった。

 

 

実際には、少し炎から遠いところでやらせたのだけれど。

今度は暗くて、危なかしかった。

それで、始まって1分ほどで「もうやめましょう」と声をかけた。

 

 

実際、その1分間で男の子と女の子がぶつかって、少し唇を切る怪我をした。

その程度で済んだのはラッキーだったと思う。

 

 

もしも、大怪我でもしていたら。

眼球をぶつけて失明でもしていたら、と考えたらゾッとする。

 

 

一度動き出したら、止まることができない。

経験豊富な教師ならばある程度の想像力を働かせて抑止することができても、経験の乏しい先生だとゴールラインが想定できないことも多い。

 

 

僕だって、若いころは随分とむちゃなことをしてきた。

今思えば、ヒヤリとする場面やハッとする場面を幾度のなく経験してきた。

 

 

専門家の皆さんの「後出しじゃんけん」の餌食になりそうな場面は山ほどあったのだ。

僕はたまたま運が良かっただけの気がしてならない。

 

 

現場を見ていないのだから、何もわからないよ

もうひとつ、今回の事件では教室で対応したことも問題視されている。

通常であれば、涼しい場所に移すべきだったとは思う。

 

 

教室にはクーラーが設置されていなかったそうだけど、保健室はどうだったのだろう?

職員室ならば、クーラーはあるはずだ。

それもこっちの思い込みか。

 

 

おそらく、保冷剤などで子どもの身体を冷やすなどの措置は取っていたのだろうと思われる。

ただし、それは「熱中症」と「その瞬間」に判断できていたら、の話だ。

 

 

こういった話は、「その瞬間」に状況がつかめていたかが重要になる。

あとですべてが明らかになったうえで、「こうすべきだった」は誰にでも言えることだ。

「その瞬間」の、情報が限られた中で、「その判断」ができるか、である。

 

 

熱中症という判断ができていなかった場合、あえて動かさず、まず寝かせるという対応をすることもあり得ると思う。

今、すべてが明らかになった状態ならば、その判断はない。

でも、「その瞬間」にどれほどの情報量があったかはわからない。

 

 

だから、僕は一斉に学校を攻撃し始める空気を感じると、少しだけ怖くなるのだ。

今だって、僕らが得ている情報は、ネットニュースから漏れ聞こえてくる「わずかな情報」でしかない。

この「わずかな情報」で全体を想像し、一斉に叩く。

 

 

このリンチのような空気感が怖い。

 

 

悲しみしか残らない。

一方で、朝元気に出かけていった我が子が、そのような姿で無言で帰宅する姿を想像してみる。

どれほど、心を苦しめるだろう。

想像することすら辛い。

 

 

今朝、我が子たちとサヨナラをする夢を見た。

涙を流して、子どもたちを見送った。

 

 

なんとも言えない悲しさで目を覚まし、今パソコンに向かっている。

何かに背中を押されるように、この記事を書いている。

  

 

遠足にゴーサインを出した校長先生も、きっと自責の念にかられるだろう。

遠足を企画した先生も、その担任の先生も。

それから、養護教諭の先生も。

 

 

 

想定外のことも想定しておく必要がある。

常に「もしかしたら」を考えておく。

 

 

それはそれで必要なことではあるけれど。

果たしてそんなこと、人間にできるのだろうか。

 

 

少なくとも、僕には「できる自信」がない。

 

 

教育現場で起こる事故のニュースを見るたび、僕自身が教員側の過失を問われるような大きな事故に遭遇することがなかったのは、ただ運が良かっただけだと思い知らされる。

 

 

昔、ある校長先生と一緒に仕事をしたことがある。

現場の不祥事の責任をとって退職した元校長先生だった。

 

 

「何かあったとき、首を切られるために高い給料をもらっているんだ」

そんな話を酔っ払いながらしてくれたことを思い出す。

 

 

後からならば、なんとでも言える。

「その瞬間」にその場にある情報量で最善の選択をすることが求められている。

果たして可能なのだろうか…。

 

 

ただただ、ご冥福をお祈りするしかない。

大切なのは、ここから何を学び、何を生かすかだよ。

 

くればやし ひろあき

公立中の先生を16年間勤めて独立。おもに生徒指導に携わってきた思春期の子どもの専門家。その経験を生かし、受講者500人超のワークショップ『子どもとつながる問いかけの魔法塾』を全国で開催。この夏クラウドファンディングを成功させ県内8会場映画上映ツアーを敢行。お母さんのための学校『passion life college』を妻とともに主宰。3児の父でもある。