セックスと、教育と、ワタシ♬
ポジティブに性を語ろう。
セックスについて、おおっぴらに語ることはタブー視されている。
日本にはそういう文化が根強い。
最近、「性教育」についての投稿をよく見かける。
それはそれで素晴らしいとは思う。
子どもに正しい「性」の知識を持ってもらおう。
これを否定するつもりはない。
けれど、もっと大事なことがある。
それは、大人が「セックス」と向き合っているか、ということだ。
そんなことを考えたのは、沖縄で開催された「しつもんカンファレンス2018」に参加したからだ。
「しつもんカンファレンス」は、マツダミヒロさんが主宰する「魔法の質問」の年間最大イベントだ。
「誰にも言えなかったセックスの話」
このテーマでトークセッションが繰り広げられた。
本当に考えさせられる内容だった。
性の知識というのは、どこかネガティブば情報として語られることが多い。
望まぬ妊娠、性感染症。
それは大切な知識だと思う。
では、ポジティブな面をどこまで語ることができているだろう?
そして、ポジティブな面を語ることができるセックスを、僕らはできているだろうか?
そんなことを考えさせられた。
男を激変させるのはいい女だ。
ちなみに、僕が登壇したのは「学校では教えてくれない大切なこと」というトークセッションだ。
自尊感情。
根拠のない自信。
そんな話をした。
なりたい自分になる。
それができるのは、「自分は自分でいいのだ」という根拠のない自信だ。
今から3年ほど前だろうか。
僕は妻にこんな話をした。
「俺、ミヒロさんみたいに生きたいんだよね」
「執筆して、講座して、講演して、旅して。そんな感じ」
もしもあなたの夫がそんなことを言い出したら何と答えるだろう?
公務員としての安定収入を手放すのだ。
子どもが3人もいるのに、だ。
彼女は一言、こう言った。
「いいね〜。大丈夫だよ、あなたはやれる」
その後、僕は仕事を辞めた。
全国で講座を行い、お母さんのための学校を立ち上げた。
クラウドファンディングをやって映画上映ツアー。
全国から講師を集めての「子育て万博」。
次々にいろんなチャレンジをした。
そのたび、「あなたは大丈夫。あなたは大丈夫」と言う。
何の根拠もない(笑)
でも、そのたびに僕は何だかできそうな気がしてくる。
いつもいつも応援してくれる。
この世界にアクションを起こす。
それは、とても不安だ。
だが、彼女はいつもいつも「あなたは大丈夫」と言う。
その言葉で僕を奮い立つ。
「質問は人生を変える」とミヒロさんは言う。
でも、ラブマスターのりんごろ姉さんは、
「質問は人生を変えるって言うけどね、男を激変させるのは女よね」と言う。
僕は、それを笑って聞いていた。
でも、トークライブで話をしながら、それを言い得て妙だな、と思った。
男らしさ、女らしさ。
そんなことを言う時代は古いのかもしれない。
それでも思う。
女性のもつ豊かな女性性は、確かに男性を奮い立たせるものなのだ。
セックスとは何か。
僕らはそれを「充電」と呼んでいる。
コンセントに挿して充電するイメージだ。
愛はフリーエネルギー。
循環することで無限のエネルギーが沸く。
一方的な性欲を満たすだけのセックスは、どちらかを枯渇させる。
だから、これは言葉を用いない究極のコミニュケーションだと言える。
性行為は、性欲を満たすためのものではない。
性行為は、生命を生み出すためだけのものでもない。
深い部分でつながる対話でもあるのだ。
命の紡ぐ営みをタブー視して語られることのない日本の文化。
これはとても不思議なことなのだ。
初めての性教育
あれはまだ、僕が教員になりたての頃だ。
僕は2年間だけ保健体育の先生をやらされた。
体育の先生が足りなかったため、臨時免許で授業をした。
体育の授業はいい。
ある程度、教えることができた。
問題は、保健の授業である。
ちょうど中1は、「性」について学ぶ。
男女共修だった。
まだ、子どものいないウブな僕だ。
しかも、国語の先生だ。
真っ赤な顔をして「月経」だの「射精」だの、板書していた。
まあ、大変だったよ。
そりゃ、今の僕ならね、いくらでも授業ができる。
でも、あの頃の僕は、教科書を追いかけるのが限界だった。
そう。
「性」を語るのは勇気のいることだった。
僕にとって恥ずかしいことだった。
次男坊の誕生
妻が次男を産んだのは、愛知県岡崎市にある吉村医院という病院だった。
「玄牝」という映画にもなったこの病院では、薪割りや雑巾がけをさせられる。
家ではスクワット300回。
とにかく妊婦に「動け」と言う。
そして、お産の日。
病院に併設された「お産の家」と呼ばれる日本家屋の一室に通された。
薄暗い和室に布団が敷かれ、そこで助産師さんが子どもを取り上げる。
長女は助産師さんの傍らに腰掛け、妻の膣から次男坊の頭が出てくると「かわいい」と言って、濡れた髪を撫でていた。
そして、その命の誕生をしっかりとその目に焼き付けた。
長男にも助産師さんの横に行くよう促したのだが、「僕はいいよ」と言う。
それで、彼は僕の隣、つまりは妻の頭の上でその様子を見守った。
生まれたばかりの次男坊はすぐに妻の胸に抱かれた。
そして、みんなでへその緒を切った。
我が家には、たくさんの子どもたちがやってくる。
赤ちゃんも多い。
赤ちゃんを前に長女は豊かな母性を見せる。
手慣れた手つきで幼子を抱く姿を見ると、彼女が母親になることに何も心配にならない僕がいる。
愛について語る
性について語ることがタブー視される日本。
昨今「性教育」の必要性が説かれることも多くなった。
だが、そこで語られる「性」が、ネガティブな情報であることは少しさみしくもある。
僕らはどこか「恐れ」から教育してしまうことが多い。
「こうなってしまわぬように」
そんな「恐れ」から教育してしまうのだ。
でもね、本当はポジティブなメッセージで教育をしたい。
「セックスとは何か」
「愛を育むとはどういうことか」
「なぜ子どもが生まれるのか」
「生命とは何か」
「生きるとは何か」
これこそ、学校では教えてくれない大切なことかもしれない。
あなたに贈る魔法の質問
愛しあってるかい?