「普通」を生み出した結果、僕らは苦しくなった。
どんな人間が普通か。
僕ら「普通」を決めました。
「こうあるべき」
「こうでなければならない」
こういうのが普通だよね。
普通はこうだよね。
そういうものを生み出した結果、僕らはたくさんの問題を抱えるようになりました。
「異性を好きになること」を普通とし、「男性と女性」を普通にしたことで、LGBTQの概念は生まれました。
「五体満足であること」を普通にした結果、障碍者という概念が生まれました。
「学校に行くこと」を普通にした結果、不登校という概念が生まれました。
「教室ではみんなと同じであること」を普通にした結果、発達障害という概念が生まれました。
もっと言えば、「男」を普通にしたから、男女差別が生まれましたし、「白人」を普通にしたから、肌の色による差別が生まれました。
僕らが勝手に作り出した「普通はこうだよね」。
これが僕ら人類に問題や差別を生み出したのですね。
普通ってなんざんしょ?
これが今、僕らは苦しめています。
普通は会社に行くもの。
普通は仕事をするもの。
普通は学校に行くもの。
普通はお母さんが育児をするもの。
普通は…。
普通は…。
普通は…。
そうやって、僕らは標準化されてきました。
平均的であることを愛し、集団から弾かれぬよう空気を読み、「普通であること」を王道としてきました。
「みんな違ってみんないい」と言いながら、本当はみんなと同じを目指してきました。
どうも僕らは「他人のことをガタガタ言い過ぎるところ」があります。
目は外側を向いて付いています。
ですから、自分のことは見えません。
他人のことしか見えません。
ですから、いつも他人のことばかり見ています。
僕らが生み出した「普通」を監視し、「普通」から外れたものを攻撃します。
他者に不寛容な社会になりました。
人は人。自分は自分。
あ〜、そうゆう人もいるのね…。
そのぐらいポップに他者を眺められたら楽なのにな。
男の人を好きな男の人がいたっていいし、女の人を好きな女の人がいたっていい。
身体が不自由な人がいたっていいし、学校に行かない子どもがいたっていい。
誰が何を好むかなんて、僕の人生には1㎜も影響を与えないわけでして。
自分に関係のないことをとやかく言う。
そういう人が多いわけです。
100人いたら100通りの人生があります。
1000人いたら1000通りの人生があります。
いろんな人いるんです。
「普通」とかないんです。
あなたの「普通」を他者に押し付ける必要などないのです。
「へ〜っ、いろんな人がいるねぇ」
「そういうのも、ありだねぇ」
そんな軽いノリで世の中を眺めた方が面白いと思うのだよ。
魔法の質問
世の中の「こうでなければならない」には、どんなものがありますか?