空気が読めない人の空気を読んでみる。
僕はいつも空気を読んでいる。
空気を読む!
これ、大事だと思うんだ。
ただ、問題はどの空気を読むのか、である。
ある年のこと、
校長がバカな提案をした。
まあ、
ホント頭の悪い提案である。
教育者とは思えない、
そんな提案である。
本人は満足そうに、
話している。
完全に悦に入っている。
教職員の表情は、
一様に曇っている。
あからさまに、
不満げな表情を見せる者もいる。
だが、それに意を唱える者はいない。
皆、空気を読んで押し黙っている。
さあ、どの空気を読もうか。
皆が黙っているのだから、
自分も黙っている。
これが空気を読む、である。
いや、校長は今、悦に入っている。
ここは、その空気を読むのもいい。
「さすが、校長!
素晴らしいアイデアっす!」
太鼓持ちとして、
精一杯校長のご機嫌を取る。
これも空気を読む!だ。
んじゃ、僕は何を読むか。
みんなの不満げな表情を読む。
「なあ、校長さんよぅ。
あんた、バカじゃねえの?」
僕はちゃんと空気を読んで、
直球をぶつける。
だから、嫌われる。
空気を読まない、と言われることもある。
いやいや!
ムッチャ読んどるッチュ〜ねん!
さて、ポイントはここから。
押し黙ってる人間たちからすれば、
「さすが校長!」と言う人間も、
「お前、バカじゃねぇの?」と言う僕も、
空気の読めない人間である。
「さすが校長!」と言う人間から見れば、
押し黙ってる人間たちも、
「お前、バカじゃねぇの?」と言う僕も、
空気の読めない人間である。
当然、僕から見れば、
「みんな、もうちょっと空気読もうぜ?」となるわけだ。
つまりですよ。
みんな、ちゃんと空気を読んで生きてるの。
雰囲気を感じて、自分をコントロールしてんだよね。
ただ、読んでる空気の層が違うってこと。
みんな、違うのよ。
「違う」ってことを前提に付き合えば、この世はもっと生きやすくなるんだけどな。
「あいつ、空気が読めないよな」
と除け者扱いするんじゃなくてさ、
「あいつ、俺らとは読んでる空気の層が違うねん!」
の方がいい集団になりそうだわ。